大塩事件研究会

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impactimpact「大塩の乱180年講演会」大阪春秋特集号」のお知らせimpactimpact 

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このブログは、大塩事件研究会の行事予定など、各種お知らせを主として掲載しています。Oosioheihatiroub

大塩の乱に関する諸資料は、当会会員の個人的ホームページ「大塩の乱資料館」に豊富に掲載されていますので、そちらをご覧ください。

同HPには本館(文献・論文・催しなど)、古文書館(画像と釈文)、別館(史跡など画像)がありますが、いずれも本館から入ることが出来ます。
本館のアドレスは:http://www.cwo.zaq.ne.jp/oshio-revolt-m/です。

(右の大塩平八郎像は、菊池容斎画 大阪城天守閣蔵です)


大塩平八郎の乱とは


 天保8年(1837)2月19日早朝、大坂東町奉行所の元与力で陽明学者でもあった大塩平八郎中斎(1793~1837)が飢饉の最中幕府の役人と大坂の豪商の癒着・不正を断罪し、摂津・河内・和泉・播磨(摂河泉播)地域の窮民救済を求め、幕政の刷新を期して決起した事件。奉行所の与力・同心やその子弟、近隣の豪農とそのもとに組織された農民ら約300人を率いて「救民」の旗をひるがえし、天満の自宅から大坂城をめざしたが、わずか半日で鎮圧された。乱による火災は「大塩焼け」といわれ、市中の5分の1を焼失した。
 当時配布された「檄文(げきぶん)」は大名から民衆まで密かに写され、また乱の情報は、大塩父子が暫く潜伏し手配されたため、全国に広く伝わり、幕藩体制に大きな衝撃を与えた。明治維新の30年前である。
 乱の参加者はほとんど捕らえられ、獄中で死亡した者が多かった。
 来年2017年は、乱から180年、大塩平八郎ほか関係者多くの没後180年にも当たる。(当研究会発行「大塩の乱のあとをたどる-マップでたどる大塩の乱」から一部修正)

大塩事件研究会のご案内
~大塩の乱を学んで、現代を考えよう~

 「大塩平八郎の乱」は多くの人々によって知られている有名な事件です。当時の幕政を揺り動かし、新しい歴史の流れをつくる契機となったことも大方の認めるところです。この事件をめぐっては、さまざまの記録や伝承があり、大塩は今なお民衆の中に生きつづけている感があります。テレビや新聞で度々取り上げられるのもそのためでしょう。

 この事件の研究については、すでに多くのすぐれた成果がありますが、まだ未開拓の点も多く、人に知られずに、埋もれている史実もかなりあると推測されます。この事件に、直接・間接にかかわった多くの人々に光をあて、当時の社会世相をふまえながら、事件の全貌を明らかにする必要があります。さらにそれが現代の私たちに持つ意味を考える必要を痛感しています。

 このような問題意識から、昭和50(1975)年、「大塩事件研究会」が結成されました。母体は、それ以前20数年にわたって、大塩家の菩提寺である成正寺を中心として、事件関係者の追悼・顕彰をつづけきた「大塩中斎先生顕彰会」です。これに対し本研究会は、上記意味から、追悼・顕彰にとどまらず、事実にもとづいた研究・調査や、その成果の市民への還元など、大阪の学問・伝統を生かした特色ある活動を期しています。現在、研究者・教育者をはじめ、関係者の子孫や、事件に批判的な人も含めて、関心をもたれる市民の方々の参加を得ていますが、さらに多数のご入会をひろくお願いする次第です。

研究会活動内容

①大塩平八郎の伝記、思想、行動の調査研究151128oosiokouenkai2_2
②大塩の直接の門人ならびにこの事件に関係した無告の民衆の実態調査
③幕末天保期の総合的研究
④大塩中斎忌を始めとする各種集会の開催
⑤『大塩研究』を始めとする出版活動   
⑥各種資料の発掘調査
⑦各種諸団体との連絡提携
⑧その他必要な事項151221oosioyomubukai_2

(右写真は上から、講演会、大塩の乱関係資料を読む部会、見学会)


年会費等


一般会員:3000円、賛助会員:10000円
講演会・大塩の乱関係資料を読む部会・見学会参加費は、毎回会員・非会員共 500円
会員には学術誌「大塩研究」(年2回発行)をお送りします(一般会員1部、賛助会員3部)。


会長  
藪田 貫(やぶた ゆたか)
     (兵庫県立歴史博物館館長、関西大学名誉教授)

事務局
150531oosiokengakukai_2
〒530-0053 大阪市北区末広町1-7 成正寺内 大塩事件研究会
Tel 06-6361-6212

(お問い合わせ先 Tel・Fax 06-6877-2590 内田正雄 )

ご入会申し込み用紙、会費振込先等については、別頁に記載しています。矢印をクリックしてください。

以後順次、本研究会の行事予定などを掲載していきます。このページ上・下のリンクバーまたはページ右側の「最近の記事」をクリックしてご覧ください。よろしくお願いします。

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2017年10月11日 (水)

大塩の乱に関する講演会やテレビ放送が相次いでいます。

ご承知のように、10月29日、当会・大阪春秋・大阪市立中央図書館共催の「再考・大塩平八郎-大塩の乱180年によせて-」が開催されますが、各地でも大塩の乱に関する講演会・展示会が開催され、また、テレビ放送も予定されています。

◆9月24日(日)、隠岐島文化会館で「おきゼミ~大塩平八郎の乱180年と隠岐~」の表題で、薮田貫先生と旭堂南海師による対談と講談が行われました。
詳細は
http://www.zaidan-oki.jp/jigyou.k.okizemi.pdf 
をご覧ください。

◆10月11日~12月3日、門真市の歴史資料館でに「北河内・淀川ゆかりの人物伝ー大塩平八郎と門人たち」の展示がされています。
告知ページのアドレスは
http://www.city.kadoma.osaka.jp/event/201710_post-117.html
です。

◆11月14日(火)13:30~、守口市の生涯学習課が歴史講座「大塩平八郎と守口」を開催します。講師は薮田貫先生、場所は守口市役所地下1階・中部エリアコミュニティセンターです。
イベント告知ページのアドレスはhttp://www.city.moriguchi.osaka.jp/teiju/event/1507264464604.html#container
です。

◆テレビ放送
11月15日(水)午前9:45~9:55、NHK,Eテレ、「歴史にドキリ」で、「大塩平八郎~庶民の反乱」が放送されます。小学生向け10分間の番組ですが、一応乱の概要が掴めるよう編集されています。歌あり踊りあり、小学生が興味を持てそうな番組です。
NHKのホームページで動画を見ることが出来ます。下記アドレスをクリックしてご覧ください。
http://www.nhk.or.jp/syakai/dokiri/?das_id=D0005120242_00000

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2017年10月 3日 (火)

平成29年10月「大塩の乱関係資料を読む部会」の予定

平成29年10月例会は下記のように開催します。ご出席ください。

日時:10月23日(月) 午後6時00分~8時00分

場所:大阪市立北区市民センター 第1会議室(例月の第2会議室から、この月だけ変わります)。 
     北区扇町2-1-27 (Tel 06-6315-1500)

テキスト:「難波美家解(なにわみやげ)」 (古文書) 35-2右頁1行目「の裏通り志なの町之・・・ 」から(以前配ったものから、頁番号の振り方が変わりましたのでご注意ください)。
      
      「大阪市史史料 近世Ⅱ」(活字)  611ページ下段後ろから3行目「隠居 瀬田藤四郎・・・・・・」から。

講師:本会会長 藪田貫先生(兵庫県立歴史博物館館長、関西大学名誉教授)      

参加費:500円(資料コピー代共)

お問い合せ先: 内田正雄 (Tel 06-6877-2590)

(11月は21日(火)です。曜日がこの月だけ変わります。ご注意ください。12月は18日(月)、終了後忘年会を開催します)。

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2017年9月17日 (日)

10月29日(日)、「大塩の乱180年記念講演会」が開催されます。

10月29日(日)、午後1時30分から午後4時、「大塩の乱180年記念講演会」が開催されます。
大塩事件研究会・大阪春秋・大阪市立中央図書館の共催です。

場所は、大阪市立中央図書館5階大会議室、(大阪市西区北堀江4-3-2)、地下鉄西長堀駅下車7号出口すぐ。

「再考 大塩平八郎ー大塩の乱180年によせて-」
大塩平八郎とは何者なのか? 大塩の乱とは何だったのか? 大塩の乱180年の節目に、歴史・文学の専門家とともに考えます。

講師は、薮田貫氏(大塩事件研究会会長・兵庫県立歴史博物館館長)、福島理子氏(帝塚山学院大学教授)、岩城卓二氏(京都大学教授)の皆さんです。

関連展示もあります。

入場無料、定員300名です。 

詳細は、下記掲載の縮小チラシをクリックしてご覧ください。

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大阪春秋・秋号で「大塩の乱180年特集号」が発売されます

大阪の歴史と文化を中心に編集する郷土季刊誌『大阪春秋』が、秋号として「大塩の乱180年特集号」を10月1日に発売します。

A4版120頁、定価 1000円+税です。
充実の内容です。ぜひ書店でお求めください。

下に、チラシ、表紙、扉、目次を縮小版で掲載します。それぞれの図をクリックしていただくと、拡大画面が出ますので、ご覧下さい。

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    チラシ                   表紙               扉

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2017年9月10日 (日)

洗心洞通信65号(大塩研究第77号 2017年8月)

◇「大塩の乱 関係資料を読む部会」の報告

 平成二八年の「大塩の乱 関係資料を読む部会」は十二月十九日が最終日であった。出席者二六名で、学習会終了後は、年に一度の懇親会があり、藪田会長のサイン入り著書が当たる〟あみだくじ〝等で大いに盛り上がり親交を深めた。

 翌年一月の報告によると、年一一回開催、延べ出席者一八六名、一回平均一七名とのこと。

 また、十一回出席の皆勤賞は一ノ瀬雅子、内田正雄、北村静子、木村雅英、中村和子、名倉延子、福島孝夫さんの七名。 十回出席の精勤賞は井上宏、西村美紀子、藤原勝、宮元正博さんの四名であった。

「大塩の読む部会」は原則として、八月を除く第四月曜日十八時~二十時までの二時間、扇町の大阪市立北区民センター会議室で行われている。

現在は藪田貫会長のご指導の下、古文書『難波美家解』と活字書『大阪市史史料近世Ⅱ』を読んでいる。また、学習の成果として『難波美家解』の翻刻文を『大塩研究』に掲載しているのでご覧いただいていると思う。

 学習会では前記文書を参加者が数行ずつ読み、皆さんから読み方、歴史用語についての意見が述べられ、最終的に藪田会長から解説をいただいている。

 古文書は難しいと思われがちだが、歴史談義を交え楽しく学んでいるので、是非一度お立ち寄りいただきたい。内田正雄)

◇平成二九年一月例会―
酒井一先生七回忌法要ならびに論文集『日本の近世社会と大塩事件』献呈式

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 三五年の永きに亘って大塩事件研究会会長をつとめられた酒井一先生の遺稿集『日本の近世社会と大塩事件』が一月二二日付けで和泉書院から発刊された。そこで同日、先生の七回忌法要と同書の献呈式が菩提寺成正寺で行われた。

式後の会食で参加者全員が先生の思い出を語った

集まった方たちは、先生令夫人ならびにご親族、遺品整理を担当された教え子・ご友人・論文集解題執筆者・出版社・大塩事件研究会役員の皆さん。

酒井妙子、内藤緑、有光友昭、加藤寛彦、岸本隆己、松尾寿、谷山正道、本城正徳、松永友和、廣橋研三、薮本祐子、薮田貫、内田正雄、柴田晏男、島田耕、志村清、土井裕子、政埜隆雄、松井勇、松浦木遊、宮元正博、井上宏 計二二名(井上宏)


◆遺稿集『日本の近世社会と大塩事件』について
P1090936b_2 大塩事件研究会では、先生の多数の論文が、ご急逝により、発表当時のまま放置されている状況を憂い、ご業績が次世代にも継承されることを願って、遺稿集を発行することを企画した。

 本書では、主要な論文二一篇を、Ⅰ近世の領主支配と村々、Ⅱ大塩事件、Ⅲ幕末の社会と民衆、Ⅳ地域史と民衆文化 に分類して収録した。

 冒頭には、先生みずからが半世紀の研究の軌跡を語られたインタビュー記事を掲げ、末尾には年譜と著作目録を付している。

Ⅰには本城正徳、Ⅱには松永友和、Ⅲには谷山正道、Ⅳには藪田貫の各氏による解題が付され、先生の業績の近世史研究における位置づけが試みられている。

本書の内容・目次等の詳細は和泉書院のホームページに掲載されている。ご覧いただきたい。(井上宏)



◇三月例会―一八一回忌大塩父子及び関係殉難者怨親平等慰霊法要及び記念講演会

三月二六日(日)午後一時三十分から、成正寺で、一八一回忌大塩父子及び関係殉難者怨親平等慰霊法要が行われ、記念行事として、天理大学教授 谷山正道先生による講演が行われた。また、講演後、研究会の総会が開催された。


法要

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 一八一回忌だが、事件後一八〇周年の記念すべき法要である。往事を偲びながらの厳かな法要だった。記録映画の撮影や新聞社・雑誌社の取材も入っていた。


講演:谷山正道教授「日本の近世社会と民衆運動
―大塩平八郎の乱を視野に入れながら―」

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 豊富な資料を駆使しながらのご講演は分かりやすく、興味深いものだった。
講演内容については、谷山先生が『大塩研究』にご執筆いただくことになっているので、それをご覧いただきたい。ここでは、ご講演の意図と、本稿筆者の感想を二・三述べるにとどめる。

◆ご講演の意図(レジュメ「はじめに」から)
○江戸時代は、「徳川の平和」と呼ばれる、世界史上でも稀な平和な時代であり、兵農分離制(身分制)・石高制(村請制)・鎖国制を国家の基本的枠組みとしていた。そうした体制のもとで、民衆は、生産や生活を守るために、地域に根ざしてどのような運動を展開したのか、それはどのような特質を有し、近世後期にはどのような変化を示すようになったのか。

○本講演では、合法的訴願と百姓一揆の双方に光をあて、日本近世における民衆運動の特質と展開のあり方について、大塩平八郎の乱も視野に入れ論じられた。


◆講演を聞いて印象深かったこと(本稿筆者)

1.〈訴の時代〉としての日本近世、2.近世における合法的訴願の展開では、
○一般的に百姓一揆が注目されるが、現在知られているそれは三千余件に過ぎない。ほとんどが合法的訴願であるとのこと。
 要求を述べる際、自分たちのことを「御百姓」と述べている。これは「我々百姓が貴方たち武士を土台で支えているのだぞ」ということを表現している。訴願は数量的・合理的で、道理に貫かれている。また、文章表現力と論理構成力に優れている。
 お上の言葉を逆に利用する図太さを備えている。例えば、「胡麻の油と百姓は絞れば絞るほど出るものなり」の言葉で有名な勘定奉行 神尾春央の「有毛五分五分の条」(五公五民)を盾にとって、それ以上の年貢増徴を防ぐなどしている。

○国訴など、問題レベルに応じた広域化を図っている。そのため、村役人層による地域集会を開催し、議定書を制定するなどしている。また、頼み証文(委任状)などは、代議制の前駆的形態とも取れる。

○百姓側からお上に、法文や政策内容を提示して「国触」(くにぶれ)を要求するなど、地域運営主体・政策主体としての成長が見られる。

○明治になって自由民権運動が盛んになるが、近世における民衆運動の、このような成長が基盤となっている。

3.百姓一揆と幕藩領主、おわりにでは、
○百姓一揆も中期までは「作法」があり、規律ある行動をとり、盗みや放火は自制していた。一揆勢が得物として携えたのは農具であり、武器は封印していた。領主側も鎮圧に際して、飛び道具は不使用としていた。
 非合法な訴えの首謀者は厳罰に処することが公事方御定書に記されているが、これも但し書きがあり、事情によっては柔軟に対応していた。百姓を「国の宝」として扱った。

○ところが、明和頃から次第に硬直的な処分となった。民の方も文政頃から一揆に竹槍を使用するなど暴力化するようになり、鎮圧側も武力行使をするようになった。階層分化が進行し、民衆の窮迫度が増し、領主に対する恩頼感が低下し、直接行動によって「世直し」を実現しようとする動きが出だした。

○天保期、凶作による米穀の欠乏と高騰による民衆の窮乏が激しくなったのは、再生産構造の変化が影響している。脱農化が進展し、「買喰層」が多くなることで、米価高騰が一層打撃となった。このような状態に、大坂では跡部山城守の悪政が拍車をかけ、大塩平八郎の乱につながった。島原の乱後二〇〇年、弓鉄砲を用いた大塩の挙兵は明治維新の先駆けとなった。

○上記のように、一般的な認識と異なり、訴願に対する幕府政治の対応は柔軟で、民の側も訴願を通じて自治力の向上があった。しかし、中期以降、階層分化の進行、底辺民衆の窮乏化が増すことにより、訴願も暴力化することが多くなり、大塩の乱につながった。階層分化の激化が如何に危険かに、現代の為政者も心すべきだろう。

以上が先生の講義に対する筆者の断片的な感想だが、受講者さまざまの受け取り方があると思われる。講義の全貌については『大塩研究 第78号』(平成三十年三月刊行予定)で先生の玉稿をご覧いただきたい。

 当日の参加者は、有光友昭、井上宏、上島朱實、内田正雄、大峯伸之、紙谷豊、木村雅英、酒井妙子、柴田晏男、志村清、島田耕、清水玉子、谷山正道、亭島吉秀、土井裕子、中井陽一、長山公一、名倉延子、西口忠、林耕一、福島孝夫、藤田恵玄、政埜隆雄、松井英光、松井勇、松尾茂、松永友和、宮元正博、安田信之、柳内良一、薮田貫、藪本祐子、山崎弘義、計三三名   (井上宏)


◇講談「大塩平八郎事件異聞 西村常太郎物語」鑑賞の報告

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 旭堂南海さん作の講談「大塩平八郎事件異聞 西村常太郎物語」が三月二四日、十八時三十分から、大阪千日前のトリイホールで上演された。

 同ホールは、法善寺横丁のすぐ傍、六十席程、落語・講談など演芸主体のホールらしい。硬い感じの演題なのに満席のお客さんで、南海師匠の人気が窺える。 南海師匠によると、この講談は、飯嶋和一著『狗賓童子の島』を、作者の許しを得て、師匠が講談化したもの。原作は司馬遼太郎賞を受賞したが、師匠は司馬より飯島和一のファンであるとのこと。
 原作は一二〇〇枚の大作で、大塩平八郎の乱に関係して隠岐島に流された少年・西村常太郎を主人公として、幕末から明治初期にかけての同島の激動の時代を描いた歴史小説。講談ではとても演じきれないので、導入部の一〇〇枚ばかりを講談化された。講談を聞いて、興味を持ってもらい、ぜひ原作を読んで欲しいとの意図。常太郎少年は罪人の子としての扱いを覚悟していたが、むしろ民衆のために立ち上がった偉人の子として遇されるのに驚く。少年はその年の「狗賓童子」に選ばれる。十人に一人しか生還できない過酷な大役のさまが迫力満点に語られる。そして、狗賓童子となった少年が医者としての教育を受け、島民と共に動乱を生き、島の危機を救うことが予告されて講談は終わる。話の全貌をぜひ知りたいと思わせる熱演だった。

 講談の後、「大塩事件の今を語る」というテーマで、大塩事件研究会会長・薮田貫先生と南海師匠による座談会があった。薮田先生の話で興味深かったことがある。
 大塩の乱によって島流しにあった子供は十四人にも上る。一人ひとりに興味深い物語があった筈である。その中で何故常太郎の物語が語られることになったのか。彼らのほとんどが流された土地に留まったのに対し、常太郎が明治二年大阪に帰り、医者となったことが大きい。明治十三・四年頃、毎日新聞の宇田川文海が常太郎から話を聞いた。それが左殿家文書の中に納められていた。
 左殿家文書は、本会会員森田康夫先生が長年調査・研究され著書に納められている。その著書が大塩をテーマに執筆を企画していた飯嶋和一氏の目に触れ、『狗賓童子の島』として結実した。

 ネットに、飯嶋和一氏の執筆動機を掲載している頁がある。(全国書店ネットワークe-hon、著者との60分)
http://www1.e-hon.ne.jp/content/sp_0031_i1_201503.html
 
 この中で、同氏は、森田先生の著書を読み、この視点でなら大塩平八郎の乱を書けると思ったと述べている。物語は常太郎主役だが、執筆の動機は大塩平八郎の乱であるとはっきり言っている。

 また、『大塩研究』 に森田康夫先生の西村常太郎・謙三郎兄弟に関する研究論文が掲載されている。
第十三号の「大塩の乱と隠岐騒動―弓削村七右衛門の子常太郎のこと―」、第二四号の「弓削村七右衛門の子・常太郎の隠岐体験―大塩の乱と隠岐騒動を結ぶもの―」がそれである。
 さらに先生は現地調査を重ねられ、その結果を踏まえて、一九九二年三月、成正寺で講演されている。「隠岐・五島に生きて―河内弓削村西村履三郎の子常太郎・謙三郎―」で、その概要は『大塩研究 第三二号』の「洗心洞通信二六」に掲載されている。(ホームページ「大塩の乱 資料館」参照) 

 もう一つ、薮田先生の指摘は、この講談は常太郎の母由美について触れていない。由美が非常に偉かったからこそ、あの常太郎があったということを言って欲しかったとのこと。
南海師匠は、「先に言ってくださいよ。入れたのに」と悔しがっていた。次に語られる時には入っているかも知れない。乞うご期待である。(井上宏)


◇五月例会記録「大塩の乱 一八〇年記念映画会」
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平成二九年五月十三日(土)、午後二時から、大坂グリーン会館二階大ホールで、「大塩の乱 一八〇年記念映画会」が開催された。

上映作品は二本
 新東宝作品『風雲天満動乱』 第二部 嵐寛寿郎主演(一九五七年)
 記録映画『大塩平八郎と民衆』 島田耕監督 文部大臣賞受賞(一九九三年)
 当日の大阪地方天気予報は雨のち曇り。予報通り朝から雨だったが、幸い午後には上がり、約七十名の参加で盛況だった。

 研究会薮田会長の挨拶の後、二本の映画が上映されたが、合間には記録映画の島田監督から、若干の解説があった。

 会長からは、「新東宝映画は史実とかなり異なる娯楽作品である。決起した人たちは、自分たちのみでなく、家族にも累が及ぶことを覚悟して民衆のために行動を起こした。『無私』の行動である点を見て欲しい」との話があった。

島田監督からは、「記録映画は史実と、それが歴史に持つ意味を追及している。そのため家族の流刑地にまで、ロケを敢行した。どの地でも、犯罪人の子としてではなく、民衆のために立ち上がった人の子、学があり、将来島のために役立つべき子として大切に扱った。このことは乱が民衆にどのように受け取られたかを示している。
 また、この映画会に当たって、事務局に、政権に刃向った大塩の乱の映画で文部大臣賞を受賞するとは何事かとクレームがあったらしい。コンクール用に作った映画ではなく、完成後勧められて応募した。審査にあたったのは政権内部の人ではなく、教育映画の専門家たちなので、評価されたのは意義のあることと思う」との話があった。

参加者からは、「嵐寛の映画は懐かしかったし、それなりに面白かった。記録映画は、教科書にはない知識を得ることができた」「大塩マップを購入しました。自分の住んでいる所の歴史を知りたくなりました」「中・高の教員をやっています。学生相手にお話を聞かせていただきたい」等の感想があった。また、「今の官僚・政治家に無私の人は皆無だろうね」との声も聞いた。

乱一八〇年のイベントとして、成功だったようだ。

当日の参加者は会員十八名―伊藤誠一、井上宏、内田正雄、木村雅英、澤田平、柴田晏男、志村清、島田耕、白井孝彦、末 廣訂、亭島吉秀、中井陽一、名倉延子、西山淸雄、福島孝夫、松尾寿、薮田貫、山崎弘義、

一般四八名、計六六名(井上宏)


「まんが 大塩平八郎

()くもん出版発行、著者・ムロタニ・ツネ象の、時代を動かした人びと『日本の歴史人物伝』という子ども向け漫画本に、大塩平八郎が取り上げられている。

なにげなく書店で手に取り驚いたのは、一九九九年発行で四一四頁にわたる児童書としての大作が、今日まで第四二刷発行され読まれ続いていることだ。

 大塩平八郎は二章―新しい道をきりひらいた人びと―に七頁に渡って掲載されている。内容は丁寧に史実に沿って書かれており、子どもの時から、大塩平八郎を正しく理解してくれるものと思われる。(内田正雄)


◇大橋幸泰著『近世潜伏宗教論』―キリシタンと隠し念仏― 校倉書房 (歴史科学叢書)

同著を著者で本会会員の大橋幸泰氏から贈呈されたので、紹介する。

江戸時代の切支丹をはじめ異宗と思われていた、宗教活動に信仰・邪正・幕府藩の対応と広い範囲で考察する。この中で、大塩平八郎が与力時代の三大功績の一つとされている「キリシタン逮捕一件」については「文政期京坂キリシタン考」と題し詳しく論考している。(内田正雄)


◇田能村竹田―吹田・なにわを愛した文人画家―展

 大塩平八郎と親交があり、養子(弟子)直入を洗心洞で学ばせた田能村竹田展が、吹田市立博物館二五周年記念 春季特別展として四月二九日~六月四日まで開催された。

 竹田は豊後国岡藩医の家に生まれたが、文芸や書画に秀で諸国を旅し大坂では木村兼葭堂、頼山陽とも出会う。 

 天保六年(一八三五)療養のため吹田に来た竹田が描いた「吹田養痾図」が今展示のため、竹田市立歴史資料館から里帰りして目玉の一つとなる。

 展示作品には大塩自詠の七言絶句詩を揮毫した、力強く雄大な紙本墨書一幅(署名 洗心洞連齊)もある。

(内田正雄)


◇会員の動静 

◆当会元副会長 故 井形正寿さんがNHKテレビ「探検バクモン」に登場

 当会副会長として永年功績があり、二〇一二年に亡くなった故 井形正寿さんがNHKテレビ「探検バクモン」のお札特集で取り上げられた。ただし、井形さんは福島区の歴史研究会事務局長も永く務めておられ、その仕事に関係した取材内容だった。
 放映日は十二月二八日(近畿では三〇日)。この回のテーマは「お札」。お札は新札となる度に、若い番号が縁の公的機関に交付されるそうだ。一万円札の顔が聖徳太子から現在の「福澤諭吉」に替わったのがD号券の一九八四年。さらにそれが偽造防止技術を施した、現在のE号券に替わったのが二〇〇四年である。
 そのE号券の印刷七枚目A000007Aが、井形さんが事務局長を務められていた福島区歴史研究会に交付され、井形さんが交付式で受け取られた。(06Aは大阪市)。
 若い番号が民間に交付されるのはレアケースなので、当時多くのマスコミが取材に来たそうだ。今回の探検バクモン「お札特集」でも、その経緯に番組ディレクターが注目した。
 交付理由の大略は、一万円札表紙が福澤諭吉となった一九八四年当時、諭吉が中津藩大坂蔵屋敷(現福島区福島一丁目)で生まれ、大坂の適塾で学問に励んだことを顕彰するものがほとんどなかった。そのため、福島区歴史研究会が猛運動をし、福島図書館に「福澤諭吉記念室」が創られた。(福島区歴史研究会ホームページに詳細掲載)。

 番組中の該当部分は数分だったが、交付式や中津藩跡(福島区)の福沢諭吉誕生碑前での井形さんの写真等が放映された。(N.M.)


◆森田康夫著『評伝/ことば 大塩平八郎』
本会会員である森田康夫先生が、近く和泉書院より出版する。発行日・価格は未決定。
 本書は、同氏が永年続けてきた大塩研究を集大成したもの。平八郎の「生い立ち」「大坂町奉行所」「呻吟語との出会い」と書き進め、「大塩の言葉」についても記述。

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大塩ゆかりの地を訪ねて⑦「茨田郡士と大塩平八郎」

B 京阪電車西三荘駅から北へ10分ほど歩いたところに茨田公園(茨田邸跡)があります。
茨田家とはこの地で14代続いた旧家で、江戸時代には門真三番村の村役人を務める豪農でした。なかでも11代当主郡士は大塩平八郎の門弟となり、いまから180年前に起こった大塩の乱に参加しました。

 大塩と郡士との出会いは文政13年( 天保元年、1830)、守口の白井孝右衛門の紹介によって洗心洞に入塾したことに始まります。入塾後は大塩の信任も厚く、主要な門人の一人となりました。洗心洞の入学盟誓書には「冠婚葬祭に際しては必ず某(それがし…大塩のこと)に報告すること」との一文があり、大塩と門弟とが固い絆で結ばれていたことがわかりますが、郡士も自らの結婚や父の死去に際して大塩に報告し、大塩や洗心洞塾中からはそのたびに祝儀や不祝儀が届けられました。

 大塩の挙兵に際しては行動を共にしましたが、乱後は「このまま逃げ続けることは不可能だ」と考え、大坂城代土井利位の平野郷陣屋へ自首しました(当時、門真三番村は大坂城代の役知でした)。郡士の身柄は平野郷陣屋から大坂町奉行所へと送られ、厳しい取り調べがおこなわれました。この年は寒さが厳しかったようで、村からは郡士に布団と綿入れが差し入れられましたが、そうした厚情もむなしく、郡士は牢のなかで亡くなります。

 乱に関係した者への裁決は翌年8月に言い渡され、すでに亡くなっていた郡士はもとより、妻のぶは押込30日、茨田家は財産没収の処分を受けたのでした。
 厳しい処罰を受けた茨田家でしたが、郡士の甥である和久田徳五郎が家督を継ぎ、乱から10年を経た弘化4年(1847)、親戚にあたる北河内の豪農や村の庄屋などの尽力によって茨田家は再興されました。

B_2 現在では、写真に見るように茨田家があったことを示す石碑と、段蔵の石垣がわずかに残るのみですが、大塩と郡士の足跡を訪ねることができる、貴重な場所となっています。

(常松隆嗣・本会会員)

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2017年9月 7日 (木)

「大塩研究」77号・目次 2017年8月

この言葉(32) … ………………………………………………………藪田 貫 … 1

酒井一著『日本の近世社会と大塩事件』(和泉書院)によせて………深谷克己… 3

【講演録】二宮尊徳の仕法と思想… …………………………………早田旅人… 13

思想方法から見た大塩平八郎とルソー(下)…………………………森田康夫…34

乱180年 大塩関連映画上映会…………………………………………島田 耕…47

資料翻刻「難波美家解」(3)…………… ………大塩の乱関係資料を読む部会…50

大塩ゆかりの地を訪ねて(7)
  「茨田郡士と大塩平八郎」…
………………………………………常松隆嗣… 69

洗心洞通信(65)   ………………………………………………………………… 70

編集後記… ………………………………………………………………………… 80

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2017年8月 6日 (日)

研究会7月例会・講演会「幕末期の社会変容と慶応二年大坂打ちこわし」記録

研究会7月例会は、7月22日(土) 午後1時30分から、成正寺で行われました。

講師は、天理大学図書館 澤井廣次先生
天理大学・神戸大学大学院を卒業された、新進気鋭の研究者です。研究会の会員でもあります。
講師紹介で、薮田会長は、このような若い研究者が我々に続いてくれることは非常に頼もしいと述べられました。

演題は、「幕末期の社会変容と慶応二年大坂打ちこわし」です。

酒井前会長が始められた研究の、新しい展開を語っていただきました。
豊富な資料を駆使した、分かりやすく、興味深い講演でした。

講演の構成と、筆者に印象深かったことを断片的に記しておきます。
詳しく知りたい方は、いずれ先生に『大塩研究』にご執筆いただくことになっていますので、それをご覧下さい。

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講演の構成
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はじめに、

第1章 軍事拠点化に伴う大阪の社会変容
1.前史として~近世都市大坂の様相、2.長州征伐に伴う経済効果と負担、3.「浪士」の流入と対策

第2章 慶応2年(1866)大坂打ちこわし
1.打ちこわしの背景、2.発生・展開・終焉、3.他の打ちこわしとの相違点、

第3章 幕末期大阪の社会変容と打ちこわし
1.展開の特徴と幕末期大坂の社会構造、

おわりに

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筆者の感想
打ちこわしの主役、起こったきっかけ、今回打ちこわしの特徴、打ちこわし後の幕府の施策、それぞれが興味深い。
○主役-「長町」の無宿者。
江戸時代、大坂三郷の域外で、近郊農村であった難波村に隣接して、無宿者唯一の居住地として「長町」が幕府により設置され、株仲間による口入と統制が行われたとのこと。今の釜ヶ崎のようなものか?幕末には統制が弛緩し、無宿者が市中に増加し散在した。今の非正規労働者の増加に似ていないか?

○きっかけ-30万にも及ぶ長州征伐の幕府軍が大坂に来た。それに伴い、人足もどんどん増える。当然物資は不足し、米価は高騰し、困窮者は増える。おまけに浪士が暗躍する時代、社会の混乱に拍車をかける。
 筆者は、史実としての長州征伐は知っていたが、その征伐軍が滞在地にどんな影響を与えていたかまで考えが及ばなかった。なるほど。

○特徴-打ちこわしには、「打ちこわし」「押買」「合力」の三つがあると言う。
打ちこわし:破壊を伴う暴力的なもの。しかし、これも見せしめ的な性格が強い。
押買:購入者の設定した価格で買い取りを強制すること。
合力:豪商に金・銀・米などを恵んでもらうこと。
 筆者は後の二つも打ちこわしというとは知らなかった。

今回の打ちこわしは、今までの打ちこわしとは様子が異なっている。今までの打ちこわしは、地域コミュニティーによる「申合」で発生した。したがって、発生から展開までタイムラグがあった。ところが今回は予兆もなく発生すると、誰彼と無く「申触」し、わっと展開し、軍隊が出ると、たった8時間でさっと終わってしまった。
しかも、暴力的な打ちこわしはあまり無く、押買が横行した。地域的なコミュニティーとの関係が希薄で、人足層とよそ者の参加が多かった。

筆者はこれを聞いて、翌年発生した「えぇじゃないか」と実に似ていると思った。
陽と陰の違いはあるが、民衆の世直し気分横行がこういう形で現れたのではないかと思ったが、どうだろうか。

○事件後施策-幕府は事件後、3万人規模の施粥を行った。また、困窮者を収容する御救小屋を作った。これは明治期の大貧院へとつながっていく。しかし、このような施策もむなしく、もはや、世直しへの流れは押し止められなかった。

今回の講演は、筆者の知らなかったことも多く、目を開かせられた感がある。
前回の谷山先生の講演と合わせると一層理解できるとも思った。
社会の階層分化が激化するとどういうことになるか。現在の日本の状況に照らして考えさせられる。

ところで、この日、お寺の玄関先には美しい蓮の花と、何という名か、可愛い花が咲き、それこそ、講演に花を添えていました。


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次回予定は、詳細決定次第掲載します。

(文責 井上宏

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2017年8月 5日 (土)

大塩の乱関係資料を読む部会、8月はお休み、次回は9月です

平成29年9月例会は下記のように開催します。ご出席ください。

日時:9月25日(月) 午後6時00分~8時00分

場所:大阪市立北区市民センター 第2会議室 
     北区扇町2-1-27 (Tel 06-6315-1500)

テキスト:「難波美家解(なにわみやげ)」 (古文書) 35枚目右頁4行目「大坂より行程八里・・・ 」から
      
      「大阪市史史料 近世Ⅱ」(活字)  608ページ下段5行目「廿九日 大雨 七過ゟ晴・・・・・・」から。

講師:本会会長 藪田貫先生(兵庫県立歴史博物館館長、関西大学名誉教授)      

参加費:500円(資料コピー代共)

お問い合せ先: 内田正雄 (Tel 06-6877-2590)

(8月は夏休みです。夏バテしないよう、9月25日(月)に元気に会いましょう)

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2017年7月17日 (月)

平成29年7月「大塩の乱関係資料を読む部会」の予定

平成29年7月例会は下記のように開催します。ご出席ください。

日時:7月24日(月) 午後6時00分~8時00分

場所:大阪市立北区市民センター 第1会議室 (例月第2ですが、今月は第1です)。
     北区扇町2-1-27 (Tel 06-6315-1500)

テキスト:「難波美家解(なにわみやげ)」 (古文書) 32枚目左頁後ろから5行目「一.高橋九右衛門茨田軍次同斎次・・・ 」から
      
      「大阪市史史料 近世Ⅱ」(活字)  606ページ下段3行目一番下「済候処ニ而馬ニ而・・・・・・」から。

講師:本会会長 藪田貫先生(兵庫県立歴史博物館館長、関西大学名誉教授)      

参加費:500円(資料コピー代共)

お問い合せ先: 内田正雄 (Tel 06-6877-2590)

(次回以降、8月は夏休みです。9月は25日(月)・6時、部屋は第2に戻ります。)

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研究会7月例会のご案内

研究会7月例会のご案内です。 (盛会裡に終了しました。有難うございました。次回案内は詳細決定次第掲載します)

1.日時 7月22日(土) 午後1時30分~

2.場所 大塩家菩提寺 成正寺
      大阪市北区末広町1番7号
      電話 06-6361-6212
      地下鉄南森町下車⑥出口北へ一筋目、寺町筋を西へ入る北側

3.講演「慶応大坂周辺打ち壊し」(仮題) 
  
    講師 天理大学図書館司書 澤井廣次先生

  酒井前会長が始められた研究の、新しい展開を語っていただきます。

4.参加費  500円

お問い合せ先  内田正雄 06-6877-2590

奮ってご出席のほど、お願いします。

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2017年5月28日 (日)

平成29年6月「大塩の乱関係資料を読む部会」の予定

平成29年6月例会予定が下記のように決まりましたのでお知らせします。

日時:6月26日(月) 午後6時00分~8時00分

場所:大阪市立北区市民センター 第2会議室
     北区扇町2-1-27 (Tel 06-6315-1500)

テキスト:「難波美家解(なにわみやげ)」 (古文書) 30枚目左頁1行目下「ゆう 三祢 りつ 申口 」から
      
      「大阪市史史料 近世Ⅱ」(活字)  605ページ上段12行目「三月廿七日 晴、晩曇」から。5月は読めませんでしたので、同じ所からです。

講師:本会会長 藪田貫先生(兵庫県立歴史博物館館長、関西大学名誉教授)      

参加費:500円(資料コピー代共)

お問い合せ先: 内田正雄 (Tel 06-6877-2590)

(次回以降、7月は24日(月)・6時、部屋は第1に変わります。8月は夏休みです。9月は25日(月)・6時、部屋は第2に戻ります。)

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2017年5月16日 (火)

5月例会記録「大塩の乱 180年記念映画会」

平成29年5月13日(土)、午後2時から、大坂グリーン会館2F大ホールで、「大塩の乱 180年記念映画会」が開催されました。

上映作品は2本
 新東宝作品『風雲天満動乱』 第二部 嵐寛寿郎主演(1957年)
 記録映画『大塩平八郎と民衆』 島田耕監督 文部大臣賞受賞(1993年)

です。

 当日の大阪地方天気予報は雨のち曇り。予報通り朝から雨でしたが、幸い午後には上がり、約70名の参加で盛況でした。

 研究会薮田会長の挨拶の後、2本の映画が上映されましたが、合間には記録映画の島田監督から、若干の解説がありました。

 会長からは、「新東宝映画は史実とかなり異なる娯楽作品である。決起した人たちは、自分たちのみでなく、家族にも累が及ぶことを覚悟して民衆のために行動を起こした。『無私』の行動である点を見て欲しい」との話がありました。

 島田監督からは、「記録映画は史実と、それが歴史に持つ意味を追及している。そのため家族の流刑地にまで、ロケを敢行した。どの地でも、犯罪人の子としてではなく、民衆のために立ち上がった人の子、学があり、将来島のために役立つべき子として大切に扱った。このことは乱が民衆にどのように受け取られたかを示している。
 また、この映画会に当たって、事務局に、政権に刃向った大塩の乱の映画で文部大臣賞を受賞するとは何事かとクレームがあったらしい。コンクール用に作った映画ではなく、完成後勧められて応募した。審査にあたったのは政権内部の人ではなく、教育映画の専門家たちなので、評価されたのは意義のあることと思う」との話がありました。

 参加者からは、「嵐寛の映画は懐かしかったし、それなりに面白かった。記録映画は、教科書にはない知識を得ることができた」との感想を聞きました。また、「今の官僚・政治家に無私の人は皆無だろうね」との声も聞きました。

乱180年のイベントとして、成功だったようです。

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会場の大阪グリーン会館          雨も上がり、参加者がぞくぞく

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ほぼ満席の会場               まず会長の挨拶

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1957年、新東宝作品、            懐かしい嵐寛寿郎

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記録映画上映に先立ち島田監督の解説  会員には懐かしい、酒井一前会長

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乱の戦闘場面                屋久島に流された橋本松次郎の子孫

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大塩父子が潜伏した政埜邸隠れ部屋  上映後、檄文の解説

以上で映画会は無事終了しました。

次回行事は7月例会(7月22日13時30分~、於 成正寺、講演:天理大学 澤井廣次先生)です。乞う、ご期待。
(文責 井上宏)

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2017年5月12日 (金)

平成29年5月「大塩の乱関係資料を読む部会」の予定

平成29年5月例会予定が下記のように決まりましたのでお知らせします。

日時:5月22日(月) 午後6時00分~8時00分

場所:大阪市立北区市民センター 第2会議室
     北区扇町2-1-27 (Tel 06-6315-1500)

テキスト:「難波美家解(なにわみやげ)」 (古文書) 27枚目左頁1行目「一、平野町筋江押寄候処・・・・」から
      
      「大阪市史史料 近世Ⅱ」(活字)  605ページ上段12行目「三月廿七日 晴、晩曇」から。

講師:本会会長 藪田貫先生(兵庫県立歴史博物館館長、関西大学名誉教授)      

参加費:500円(資料コピー代共)

お問い合せ先: 内田正雄 (Tel 06-6877-2590)

(次回以降、6月26日(月)、7月24日(月)です。6時開始です。部屋は第2です。8月は夏休みです)

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2017年4月13日 (木)

5月映画会の予定が決まりました。年間予定も掲載しています

1. 5月映画会の予定が決まりました。
(盛会裏に終了しました。次回例会は7月22日です。詳細決まりましたら掲載します)

「大塩の乱 180年記念映画会」

170513011c平成29年5月13日(土)
 開場:午後1時30分
 上映:午後2時
 終演:午後4時予定

参加費 500円(会員・一般共)

プログラム
 挨拶:大塩事件研究会会長 薮田貫

 新東宝作品『風雲天満動乱』 第二部 嵐寛寿郎主演

 記録映画『大塩平八郎と民衆』 島田耕監督 文部大臣賞受賞

会場 大阪グリーン会館 2F 大ホール
 〒530-0041 大阪市北区天神橋1丁目13-15
  Tel 06-6358-8381

  地下鉄 南森町駅 下車 南へ徒歩 約10分
  JR大阪天満宮駅 下車 南へ徒歩 約10分

問い合わせ 事務局 内田 06-6877-2590
              携帯 090-5138-8421

※ポスター画像をクリックしてください。大きな画像が出ます。

2. その後の行事予定 概略

◆7月例会
7月22日(土)、於 成正寺、講演:澤井廣次先生(天理大学・本会会員)

◆10月例会
フィールドワーク、吹田地区(予定)

◆11月例会
「大塩の乱」180周年 記念シンポジウム

詳細が決定次第掲載します。

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2017年4月 4日 (火)

その他お知らせ・目次 2017.10.11 改訂

タイトルをクリックしてください。

2017.10.11大塩の乱に関する講演会やテレビ放送が相次いでいます。

2017.09.17 季刊誌『大阪春秋』秋号で、「大塩の乱180年特集号」が発売されます。(10月1日予定)

2017.03.30 講談「大塩平八郎事件異聞 西村常太郎物語」鑑賞報告

2016.12.01 当会元副会長 故 井形正寿さんがNHKテレビ「探検バクモン」で取り上げられます  

2016.05.28 BS11尾上松也の古地図で謎解き!にっぽん探究 で「大塩平八郎の乱」が放映されました。 

2016.05.04 本会藪田会長が吹田歴史文化まちづくりセンターで興味深い講演  

2016.04.01 新しい大塩平八郎画像の掛け軸が発見されました 

2015.12.17 日経「私の履歴書」で大丸元会長 奥田努氏が大塩と大丸の関係を語る

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2017年4月 3日 (月)

大塩ゆかりの地を訪ねて⑥「大塩平八郎門人と藤樹書院」

 JR湖西線高島駅を下車すると、そこは織田信澄の築城した大溝城の三の丸跡のあった所です。江戸初期の元和五年(一六一六)伊勢上野城より分部光信が城跡に二万石の大溝藩の陣屋を築きました。

大塩平八郎と藤樹書院(※)

Photo_2 大塩平八郎が初めて日本陽明学の開祖である近江聖人中江藤樹の藤樹書院を訪れたのは天保三年(一八三二年)六月です。門人松浦誠之、白井孝右衛門を引連れ大津より琵琶湖を船で、湖西の分部藩大溝(現・高島市)に入りました。中江藤樹の旧跡を訪ねる事は、大塩平八郎の長年の願望でした。
 書院を案内したのは藤樹先生門人志村吉久の末裔で、後に大塩門人となり大塩の乱に参加する小川村の医師志村周次です。当時、小川城主源秀康の子孫で、のち大塩門人小川秀則と共に書院番をしていました。秀則は大塩決起の情報を聞き、二、三日遅れて大坂に向かい、京、伏見まで来て事件の顛末を知りひそかに逃げ帰りました。それで秀則は事なきを得たのです。
 大塩は天保四年(一八三三)六月に書院へ「王陽明全集十四帙二十三冊を寄付しました。この全集は書院に伝わっており、九月、藤樹書院において陽明学の講義を行いました。大塩およびその門人達が書院修復の費用に十五両を書院に寄付しています。大塩平八郎が訪れた書院は明治十三年(一八八〇)九月二十六日類焼に遭い全焼し、現在は見ることができませんが、明治十五年に仮講堂が規模を縮小して建てられました。
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 藤樹書院には各地より参詣する著名な学者や門人も多く、伊藤東涯、佐藤一斉などが訪れました。藤樹の陽明学は大溝藩の教学に大きく影響を及ぼしました。大溝藩主分部光貞公、分部光謙公をはじめ、大塩平八郎と交流のあった人々も多く、大溝藩士前田小右衛門(梅園)名長畝、原田太仲、長野主税、恒河羽太、横田秋蔵、分部拡斉、大塩門人分部複(図書)など、多くの藩士がいました。
 平八郎の学風に共鳴していたため、天保八年に大塩が乱を起こすと、大溝藩は大きく動揺したようです。
 大溝藩内でも大騒動になって、大塩平八郎の書を蔵するものは、その咎めを受けることを恐れて焼き捨てたり、他所へ預けるなどして、全く鳴りをひそめてしまいました。

大溝藩と近藤重蔵

 大塩が与力の時、交流があり、大坂弓奉行を務めた近藤重蔵守重の墓所が、城下瑞雪禅院にあります。近藤は晩年、長男富蔵の殺傷事件で大溝藩にお預けになり、幽閉の身となり、大溝で亡くなりました。
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      (左図)大溝湊                   (右図)近藤重蔵墓所

(※)藤樹書院所在地:高島駅より北へ3km
各図をクリックしていただくと、拡大画像が出ます。

(志村 清・本会会員)

(『大塩研究』第76号 2017年3月刊 より転載)

次回 大塩ゆかりの地を訪ねて は
⑦「茨田郡士と大塩平八郎」です。

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2017年4月 1日 (土)

平成29年4月「大塩の乱関係資料を読む部会」の予定

平成29年4月例会予定が下記のように決まりましたのでお知らせします。

日時:4月24日(月) 午後6時00分~8時00分(昨年まで、通常6時30分~8時30分でしたが、今年から30分繰り上がりますので、ご注意ください)。

場所:大阪市立北区市民センター 第2会議室
     北区扇町2-1-27 (Tel 06-6315-1500)

テキスト:「難波美家解(なにわみやげ)」 (古文書) 24枚目左頁11行目「去ル十九日奸賊共市中・・・・」から
      
      「大阪市史史料 近世Ⅱ」(活字)  604ページ上段1行目「第三節 乱後の動向」から。

講師:本会会長 藪田貫先生(兵庫県立歴史博物館館長、関西大学名誉教授)      

参加費:500円(資料コピー代共)

お問い合せ先: 内田正雄 (Tel 06-6877-2590)

(次回以降、5月22日(月)、6月26日(月)、7月24日(月)です。6時開始です。部屋は第2です)

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2017年3月31日 (金)

3月例会記録 181回忌大塩父子及び関係殉難者怨親平等慰霊法要及び記念講演会

3月26日(日)午後1時30分から、成正寺で、181回忌大塩父子及び関係殉難者怨親平等慰霊法要が行われ、記念行事として、天理大学教授 谷山正道先生による講演が行われました。また、講演後、研究会の総会が開催されました。

◆法要

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181回忌ですが、事件後180周年の記念すべき法要です。往事を偲びながらの厳かな法要でした。記録映画の撮影や新聞社・雑誌社の取材も入っていました。

◆講演:谷山正道教授「日本の近世社会と民衆運動ー大塩平八郎の乱を視野に入れながらー
 豊富な資料を駆使しながらのご講演は分かりやすく、興味深いものでした。
講演内容については、谷山先生が『大塩研究』にご執筆いただくことになっていますので、それをご覧ください。ここでは、ご講演の意図を述べておられる、レジュメの「はじめに」を転載し、また、本稿筆者の感想を2・3述べるにとどめます。
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◆レジュメ「はじめに」(講演の意図)
○日本近世の大部分を占める江戸時代は、「徳川の平和」と呼ばれるように、対外戦争や内戦がほとんどなかった、世界史上でも稀な時代であり、兵農分離制(身分制)・石高制(村請制)・鎖国制を国家の基本的枠組みとしていた。そうした体制のもとで生きた民衆は、生産や生活を守るために、地域に根ざしてどのような運動を展開したのか、それはどのような特質を有し、近世後期にはどのような変化を示すようになったのか。

○本講演では、合法的訴願と百姓一揆の双方に光をあて、日本近世における民衆運動の特質と展開のあり方について論じる(大坂周辺地域を主なフィールドとし、天保期に起きた大塩平八郎の乱も視野に入れながら、述べることにしたい)。

◆講演を聞いて印象深かったこと(本稿筆者)
1.<訴の時代>としての日本近世、2.近世における合法的訴願の展開:
○一般的に百姓一揆が注目されるが、現在知られているそれは3000余件に過ぎない。ほとんどが合法的訴願であるとのこと。
 要求を述べる際、自分たちのことを「御百姓」と述べている。これは「我々百姓が貴方たち武士を土台で支えているのだぞ」ということを表現している。訴願は数量的・合理的で、道理に貫かれている。また、文章表現力と論理構成力に優れている。
 お上の言葉を逆に利用する図太さを備えている。例えば、「胡麻の油と百姓は絞れば絞るほど出るものなり」の言葉で有名な勘定奉行 神尾春央の「有毛五分五分の条」(五公五民)を盾にとって、それ以上の年貢増徴を防ぐなどしている。

○国訴など、問題レベルに応じた広域化を図っている。そのため、村役人層による地域集会を開催し、議定書を制定するなどしている。また、頼み証文(委任状)などは、代議制の前駆的形態とも取れる。

○百姓側からお上に、法文や政策内容を提示して「国触」(くにぶれ)を要求するなど、地域運営主体・政策主体としての成長が見られる。

○明治になって自由民権運動が盛んになるが、近世における民衆運動の、このような成長が基盤となっている。

3.百姓一揆と幕藩領主、おわりに:
○百姓一揆も中期までは「作法」があり、規律ある行動をとり、盗みや放火は自制していた。一揆勢が得物として携えたのは農具であり、武器は封印していた。領主側も鎮圧に際して、飛び道具は不使用としていた。
 非合法な訴えの首謀者は厳罰に処することが公事方御定書に記されているが、これも但し書きがあり、事情によっては柔軟に対応していた。百姓を「国の宝」として扱った。

○ところが、明和頃から次第に硬直的な処分となった。民の方も文政頃から一揆に竹槍を使用するなど暴力化するようになり、鎮圧側も武力行使をするようになった。階層分化が進行し、民衆の窮迫度が増し、領主に対する恩頼感が低下し、直接行動によって「世直し」を実現しようとする動きが出だした。

○天保期、凶作による米穀の欠乏と高騰による民衆の窮乏が激しくなったのは、再生産構造の変化が影響している。脱農化が進展し、「買喰層」が多くなることで、米価高騰が一層打撃となった。このような状態に、大坂では跡部山城守の悪政が拍車をかけ、大塩平八郎の乱につながった。島原の乱後200年、弓鉄砲を用いた大塩の挙兵は明治維新の先駆けとなった。

○上記のように、一般的な認識と異なり、訴願に対する幕府政治の対応は柔軟で、民の側も訴願を通じて自治力の向上があった。しかし、中期以降、階層分化の進行、底辺民衆の窮乏化が増すことにより、訴願も暴力化することが多くなり、大塩の乱につながった。階層分化の激化が如何に危険かに、現代の為政者も心すべきだろう。

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以上が先生の講義に対する筆者の断片的な感想ですが、受講者さまざまの受け取り方があると思われます。講義の全貌については『大塩研究 第78号』(平成30年3月刊行予定)で先生の玉稿をご覧いただくよう、お願いします。

(文責 井上宏

追記:
「下書き」で書いたものが完成間近になって保存を押すと、何故かfatal error の表示が出て、内容が一瞬で消えてしまいました。一所懸命書いたのに、どこにも保存されていません。
老い先短い貴重な一日を棒に振りました。泣く泣く一から書き直しました。元の文章はもっとまとまっていたと思うのですが、思い出せません。
パソコンは便利ですが、何年やっても恐ろしいものです。

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2017年3月30日 (木)

講談「大塩平八郎事件異聞 西村常太郎物語」鑑賞の報告

 既報の通り、旭堂南海さん作の講談「大塩平八郎事件異聞 西村常太郎物語」が3月24日、18時30分から、大阪千日前のトリイホールで上演された。
筆者も大塩事件研究会の仲間と共に鑑賞したので、報告をする。

P1090951b 筆者はトリイホールに行くのは初めて。法善寺横丁のすぐ傍、60席程でこじんまりとしている。落語・講談など演芸主体のホールらしい。硬い感じの演題なのに満席のお客さんで、南海師匠の人気が窺える。

 南海師匠によると、この講談は、飯嶋和一著『狗賓童子の島』を、作者の許しを得て、師匠が講談化したもの。原作は司馬遼太郎賞を受賞したが、師匠は司馬より飯島和一のファンであるとのこと。
 原作は1200枚の大作で、大塩平八郎の乱に関係して隠岐島に流された少年・西村常太郎を主人公として、幕末から明治初期にかけての同島の激動の時代を描いた歴史小説。講談ではとても演じきれないので、導入部の100枚ばかりを講談化した。講談を聞いて、興味を持ってもらい、ぜひ原作を読んで欲しいとのこと。

 常太郎少年は罪人の子としての扱いを覚悟していたが、むしろ民衆のために立ち上がった偉人の子として遇されるのに驚く。少年はその年の「狗賓童子」に選ばれる。10人に1人しか生還できない過酷な大役のさまが迫力満点に語られる。そして、狗賓童子となった少年が医者としての教育を受け、島民と共に動乱を生き、島の危機を救うことが予告されて講談は終わる。話の全貌をぜひ知りたいと思わせる熱演だった。

P1090955b 講談の後、「大塩事件の今を語る」というテーマで、大塩事件研究会会長・薮田貫先生と南海師匠による座談会があった。薮田先生の話で興味深かったことがある。
 大塩の乱によって島流しにあった子供は14人にも上る。一人ひとりに興味深い物語があった筈である。その中で何故常太郎の物語が語られることになったのか。彼らのほとんどが流された土地に留まったのに対し、常太郎が明治2年大阪に帰り、医者となったことが大きい。明治13・4年頃、毎日新聞の宇田川文海が常太郎から話を聞いた。それが左殿家文書の中に納められていた。
 左殿家文書は、本会会員森田康夫先生が長年調査・研究され著書に納められている。その著書が大塩をテーマに執筆を企画していた飯嶋和一氏の目に触れ、『狗賓童子の島』として結実した。

 この薮田先生の話に興味をそそられた筆者がネットで調べた結果、飯嶋和一氏の執筆動機を掲載しているページがあったので紹介する。
http://www1.e-hon.ne.jp/content/sp_0031_i1_201503.html
この中で、同氏は、森田先生の著書を読み、この視点でなら大塩平八郎の乱を書けると思ったと述べている。物語は常太郎主役だが、執筆の動機は大塩平八郎の乱であるとはっきり言っている。

 また、本会機関誌『大塩研究』 に森田康夫先生の西村常太郎・謙三郎兄弟に関する研究論文が掲載されている。
第13号の「大塩の乱と隠岐騒動-弓削村七右衛門の子常太郎のこと-」、第24号の「弓削村七右衛門の子・常太郎の隠岐体験-大塩の乱と隠岐騒動を結ぶもの-」がそれである。
 さらに先生は現地調査を重ねられ、その結果を踏まえて、1992年3月、成正寺で講演されている。「隠岐・五島に生きて-河内弓削村西村履三郎の子常太郎・謙三郎-」で、その概要は『大塩研究 第32号』の「洗心洞通信26」に掲載されているので紹介する。(大塩の乱 資料館)
http://www.cwo.zaq.ne.jp/oshio-revolt-m/tushin26.htm

 もう一つ、薮田先生の指摘は、この講談は常太郎の母由美について触れていない。由美が非常に偉かったからこそ、あの常太郎があったということを言って欲しかったとのこと。
南海師匠は、「先に言ってくださいよ。入れたのに」と悔しがっていた。次に語られる時には入っているかも知れない。乞うご期待である。

以上、報告をする。(文責 井上宏

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2017年3月20日 (月)

洗心洞通信64号(大塩研究第76号 2017年3月)

◇七月例会
 七月二四日午後一時三十分から、成正寺で、帝塚山学院大学教授 福島理子先生による講演「大塩平八郎の詩心」が行われた。
 乱の指導者として世間的には有名で、謹厳実直な面のみ強調される大塩平八郎が、実は繊細な詩心を持った詩人であったことを、残された詩軸を中心に説明された。
 会場に展示された詩軸三点は、酒井一前会長の遺品である。(遺品整理については、前号洗心洞通信の岸本隆巳氏報告を参照されたい)
 講演内容は、福島先生が「大塩研究」本号にご執筆いただいているので、ここでは多くを述べないが、普段余り目に触れることもない漢詩で、理解が難しいのではないかと心配していた受講生にも分かりやすく、感動的であった。
 題材となった大塩の漢詩は、展示三点の他、「洗心洞詩文」から三点の計六点だったが、それに関連する頼山陽や篠崎小竹の詩も四点取り上げられた。
 歴史に題材を取りながら、時局を諷刺・慨嘆する詠史詩は、その詠み方が情感豊かである。また、春愁や秋愁を詠む詩でも、酒を飲み、春風に吹かれながら川の景色を楽しむ詩や、箕面に紅葉狩りに行った際、誤って枝を折り山僧に縛られた人を助けた詩などを読むと、大塩の人間性が感じられる。
 大塩のよく知られている厳しい面は、与力として・教育者としての必要性から出たもので、その裏には繊細な詩心が潜んでいたことを今回の講演でよく理解できた。
 当日の参加者は、有光友昭、井上宏、内田正雄、奥村勇、唐橋研三、紙谷豊、川崎隆、岸本隆己、北村静子斉藤正和、志村清、白井孝彦、神藤勵、辻不二雄、土井裕子、中井陽一、長坂保子、福島孝夫、政埜隆雄、松浦木遊、安田信之、薮田貫、藪本裕子、山口五十二、山崎弘義、山田正登、和田義久、 計二七名(井上宏)

◇十月例会(フィールドワーク)
 十月二三日(日)、「西村履三郎・常太郎ゆかりの地を歩く」をテーマに、八尾の歴史にお詳しい本会会員 志村清氏のご案内で、近鉄志紀駅前を二五名の参加で出発した。午後からの天気の崩れが心配される空模様であったが、暑からず寒からず、日も照らずで、歩くには最適と言えた。
 道鏡の出身地と伝えられる弓削の街を歩き、まず弓削神社にて神明造りの御本殿を参詣し、次の西弓削神社では、西村家四代目の建立による燈籠や、履三郎父の寄進の狛犬を拝観して、往時の西村家の隆盛の様子が窺い知れた。
 さらに歩き、一族の西村市郎右衛門の頌徳碑を見る。一七〇四年の大和川付け替えにより灌漑用水が不足することになった村々のために、大旱魃の折、新大和川から樋を開いて罰せられた人という。裕福な庄屋階級にありながら、気高い意志を持ち、困窮の人々を救おうとした人が履三郎のみならず、同胞にもう一人あったということに深く感動した。
 そして履三郎屋敷跡にて後の常太郎が馬で通ったという冠木門や常太郎子息・左殿正逸建立の観音堂、また、西村家菩提寺である聞法寺では、帰阪した常太郎・謙三郎兄弟らが寄進した釣鐘等を見学した後、弓削霊園で履三郎一族のお墓に参加者一同が手を合わせた。
 最後に旧田井中村を延々と歩き、大塩平八郎門人渡辺良左衛門自刃場所とされる五条宮跡を通り、近鉄八尾駅で解散となった。随分長い道程であったが、この地に夥しい数の悲しみのドラマがあったことに心を打たれ、志を持つ人々の強さや人間の絆と思いやりの深さなど、考えさせられること多く、実りのある一日を終えることができた。
 志村清先生、有難うございました。
 当日の参加者は、青木昭子、伊藤友江、一瀬雅子、井上宏、岩崎芳彦、上島朱實、内田正雄、奥村喜一、紙谷豊、北村静子、坂本忠太、柴田晏男、志村清、志村照代、白井孝彦、高橋美那子、土井裕子、名倉延子、中村和子、
藤原勝、松浦木遊、松井勇、安田信之、山崎弘義、山田正登、計二五名(土井裕子)

◇十一月例会
 十一月二七日(日)午後一時三十分から、成正寺で、平塚市博物館学芸員 早田旅人先生による講演「二宮尊徳の仕法と思想」が行われた。
 早田先生は四二歳と少壮気鋭の研究者。二〇一四年、東京堂出版から『報徳仕法と近世社会』を出版され、注目を浴びている。
 大塩平八郎と同時期に関東で活躍した二宮尊徳。平八郎が武の力で改革を企図した世の中を、尊徳は農の力でどのように改革しようとしたのか聞いてみたいと平塚市からご来阪いただいた。
 先生は今回講演に当たって、「近世後期、二宮尊徳により生み出され、関東地方を中心に荒村復興や領主財政再建を目指した報徳仕法。尊徳の思想もまた、その仕法実践における課題や状況との格闘のなかで生み出され、変化していきました。その意味と特質を近代の報徳運動を見通しつつ考えます」との言葉を寄せていただいた。
 講演内容については、早田先生が『大塩研究』にご執筆いただくことになっているので、ここでは詳細を述べないが、一般の人が抱く、「小さなことからこつこつと努力して偉くなった人」(積小為大)だけではない、「格闘する尊徳像」を見せていただいた。また、尊徳死後、その運動がどのように変容していったかも印象深いものがあった。
 筆者の感想を一部かいつまんで述べたい。
 まず導入部分での「金次郎像の虚実」に驚かされた。「金次郎は柴を背負って山道を歩きながら読書をしていた。その努力する姿を称える銅像が戦前はどの小学校にもあったが、戦後消えてしまった」と一般に信じられている。しかし、早田先生によると、実像は違う。どう違うかは、早田先生の玉稿をご覧いただきたいが、これは、通説と真相が如何に異なるかを象徴しているとのこと。尊徳の仕法・思想も近代に造形・改変・隠蔽されて理解されているとのお話に目を開かされた。
 本論に入り、尊徳仕法の核心、「分度」・「推譲」・「報徳金」について説明があった。
 「当時村落における格差の拡大・貧困層の増加は抜き差しならぬ状態になっていた。これでは共同体の維持が出来ないと考えた尊徳は、富者は分度内で生活して、余剰を貧者に推譲(再配分)し、全体としての繁栄を図る仕法を説いた。しかも、仕法で生み出される富は一村・一藩の所有物ではなく公共物として領域横断的に融通・分配されるべきだとした。また、天道(自然)に沿わねばならないが、人間営為がなければ富は生み出せないと、人道の大切さを強調した」とのこと。
 世界は今、格差による社会の分断に悩んでいる。尊徳の仕法は良い処方箋であると筆者は感じた。
 次いで、幕臣となった尊徳の苦悶・思想の変化、急変する国際情勢に対する尊徳の考え方、さらに尊徳死後の運動の変節等の説明があった。
 幕臣になることにより、理想の仕法を目指した尊徳が、上司である山内総左衛門の保身行為に阻まれるのは、大塩の献策が上司に入れられなかったことと通じる。そのため尊徳の仁政論(公権力の責任追及)は先鋭化していくが、体制の変革思想には至らなかったようだ。
 尊徳の死後、幕府の瓦解もあり、尊徳運動は変容していく。仁政論は切り捨てられ、人道は通俗道徳化していく。さらに太平洋戦争中は国家権力に奉仕する運動に変節する。戦後になっても公権力への主体性欠如の状態は変わらず、通俗道徳の域に留まっているとのことだ。
 このように、尊徳の思想が時代により変容していく様子をご説明いただき、非常に興味深く感じた。
 同じように大塩の乱が持つ意味も、時代により変わってくると思われる。我々の研究課題だろう。
 最後におまけとして、尊徳の大塩平八郎観の説明があった。大阪在住の小田原藩士伊谷治武右衛門から届いた悪評を信じ、悪印象を持ったことが、その後の書簡で窺える。しかし、それぞれの書面を額面通り受け取って良いものか、今後の研究が待たれる。以上
 当日の参加者は、有光友昭、安藤久子、井上宏、上島朱實、内田正雄、奥村勇、斉藤正和、酒井妙子、島田耕、志村清、土井裕子、福島孝夫、松浦木遊、薮田貫、山崎弘義、山田正登  計十六名 (井上宏)
 
◇大塩映画会
 「大塩事件研究会が造った映画があり、文部大臣賞を貰った」と言ったのがきっかけで、田辺敏雄さんが興味を示され、同氏が取り仕切っておられる「ワイルドパンチ」で十月二九日に実施された。古書店(蔵書約五千冊)と喫茶(酒類もあり)の店で、スクリーンの設備もあり最大五十人収容できる。最初に『大塩平八郎と民衆』を監督作品された本会の島田耕さんが解説をされ上映。その後、嵐寛寿郎主演の「風雲天満動乱」を鑑賞した。このほか嵐主演映画の紹介(一部上映)や資料も配付された。出席者は本会会員を含む二四人。同所は天神橋筋六丁目駅②出口を左(北)へ三つ目の辻を右。おついでの折古書の探索でもいかが。(久保在久)

◇春日庄次郎の大塩観
 同氏(一九〇三~七六)は、戦前非合法下の共産党員。三・一五事件(一九二八)で検挙され、一番重い懲役十年を課せられたが、非転向で出獄。戦後党の中央委員に。しかし六一年路線問題で対立し党を逐われた。八六年三品とみ子が自伝『草の実―一革命家の手記』を発刊した。その中で春日が大塩について触れた部分がある。

 「この大阪で天保の飢饉の際、大塩平八郎という儒学者が叛乱をおこし、貧窮者の救援のために、金と米を放出するように金持どもを強要したという、いわゆる 「天保の乱」というものを知った。私の祖父はよく『大塩さん、大塩さん』といってこの天保の乱を語ったものであったし、今橋の鴻ノ池の本宅の前を通ると『ここが大塩さんがどなりこんで金を出させようとしたとこや』、ある時は、『この高麗橋筋はもう一揆のもんでいっぱいやった。あっちこっちとおしかけまわして、とうとう、天満から船で逃げたんや』と話してくれたものである。しかし、その時は、ただの話としてしか判らなかったが、今になってはじめて判るようになった。そうして祖父がなぜに『大塩さん』と尊敬して呼んだかということも判った」。(前掲書、十二頁)
 
 昭和期大阪生まれの革命家が大塩から深い影響を受けたことが窺われ興味深い。(久保在久)

◇『吹田市で大塩関連講演会』
 藪田貫会長による講演会が四月に行われた吹田市で九月にも二件「大塩平八郎」関連の講演会が催された。
◆「大塩平八郎の乱と吹田」 九月二九日、於吹田市立東山田公民館、講師 吹田市立博物館学芸員池田直子氏で、地区の住民三十人程が出席。演題に従って、将軍徳川家斉の時代の幕政・天保の飢饉など「大塩の乱」の背景にある歴史の話。続いて大塩平八郎の人物像と「大塩の乱」についての説明。最後に地元吹田との関連を宮脇志摩・橋本清太夫を取り上げて分りやすく話された。
◆「橋本家と老中駕籠訴事件」 九月十五日、於歴史文化まちづくりセンター(通称 浜屋敷)、講師 元吹田市市史編纂室長 中口久夫氏、「すいた昔さろん」というイベントで市民四十名程出席。
 大塩平八郎と親交のあった吹田の豪農橋本清大夫の長男で、洗心洞の元塾生であった磯五郎が起こした事件。橋本家は旗本竹中家を主家とし代々庄屋を務めた家柄で、大坂の陣での先祖の功績で苗字帯刀を許されていた。文政年間清大夫は竹中家のため借財の整理など実直に務めていたが、文政十一年同輩の讒言により在郷謹慎を命ぜられる。竹中家役人の査問を受け、種々陳弁したが聞き入れられない。翌十二年には磯五郎まで、「不埒の至り」と役儀放免処分となる。
 清大夫の悲嘆を見た磯五郎は天保四年三月死罪を覚悟の上で、老中大久保加賀守へ駕籠訴に及ぶ。寺社奉行土井大炊頭に引き渡され再三の吟味に主家の非道を訴えたが聞き入れられず、竹中家と和解するように命ぜられ帰村を許された。
 参加者は地元でも余り知られていない郷土の歴史話に、感慨深げに聞きいっていた。(内田正雄)

◇泉殿宮(いづどのぐう)正還座祭 
 大塩平八郎の叔父宮脇志摩が宮司を務めていた、吹田市の泉殿宮では社殿葺き替えを始めとする社殿境内整備事業を行って来たが一部を残し終了した。
 平成二八年十月二一日、修復された銅色(あかねいろ)に輝く社殿に神様を遷す「正還座祭」が、多数の関係者が参列して厳かに斎行された。
 残りの工事完了後に、例会フィールドワークで訪ねたいと思っている。(内田正雄)

◇会員の動静 
◆久保在久氏
が聞き書きし、一九九一年に上梓した高田鑛造自伝『一粒の種』が、目下話題となっている写真集『美しい刑務所―明治の名煉瓦建築 奈良少年刑務所』の中で取り上げられている。高田氏は昭和三年(一九二八年)に三・一五事件で思想犯として検挙・投獄され、三年強を奈良刑務所(旧奈良監獄)で過ごしているが、写真集ではその際の回想が一頁強に亘って引用されている。
 因みに奈良少年刑務所は、明治四一年(一九〇八年)の建築で、設計者の山下啓次郎はジャズピアニストの山下洋輔の祖父に当たる。また奈良少年刑務所は本年三月を以って閉鎖されるが、PFI活用による保存が予定されている。加えて昨年十月には重要文化財指定の答申がなされている。
 なお、『一粒の種』は、府立労働センター(天満橋)四階の「エルライブラー」に寄贈されている。
(辻不二雄)

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「大塩研究」76号・目次 2017年3月

この言葉(31) … ……………………………………………… 藪田 貫…    1

【講演録】大塩平八郎の詩心……………………………………福島理子…   3

きのうの友は今日の敵… ……………………………………… 澤田 平…  20

思想方法から見た大塩平八郎とルソー(上)…………………  森田康夫… 29

天保能勢騒動 首謀者山田大助の狙いを推理する
首謀者山田大助と「浮世の有様」の著者との葛藤を通して(下)……土岐 稔… 43

資料翻刻「難波美家解」(2)……………大塩の乱関係資料を読む部会…   56

大塩ゆかりの地を訪ねて(6)
  「大塩平八郎門人と藤樹書院」… …………………………   志村 清… 72


会員だより「酒井一先生の論文集の刊行に関わって」………  松永友和…74

洗心洞通信(64)………………………………………………………………  75

編集後記… …………………………………………………………………… 82

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2017年3月 7日 (火)

平成29年3月 大塩事件研究会本会の詳細が決まりました

1.日時 3月26日(日) 午後1時30分~

2.場所 大塩家菩提寺 成正寺
      大阪市北区末広町1番7号
      電話 06-6361-6212
      地下鉄南森町下車⑥出口北へ一筋目、寺町筋を西へ入る北側

3.記念行事
午後1時30分 「大塩父子及び関係殉難者縁親平等慰霊法要」、成正寺様主催 
  
2時 記念講演「日本の近世社会と民衆運動ー大塩平八郎の乱を視野に入れながらー」 
  天理大学 文学部教授  谷山正道先生

講演の概要について谷山先生のコメント「日本の近世と民衆運動の展開のあり方について、大塩平八郎の乱が起きた天保期における変化も視野に入れながら論じます」。

4.大塩事件研究会総会  4時頃

5.参加費  500円

  お問い合せ先  内田正雄 06-6877-2590

奮ってご出席のほど、お願いします。

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2017年3月 2日 (木)

講談「大塩平八郎事件異聞 西村常太郎物語」-旭堂南海さん公演のお知らせ

 旭堂南海さん作の講談「大塩平八郎事件異聞 西村常太郎物語」が3月24日、18時30分から、大阪千日前のトリイホールで上演されます。

 講談上演に先立って、「大塩事件の今を語る」というテーマで、大塩事件研究会会長・薮田貫先生と旭堂南海師による座談会もあります。

170324b この講談は、飯島和一著「狗賓童子の島」を南海師が講談化したものです。同書は小学館から2015年に出版されました。大塩平八郎の乱に関係して隠岐島に流された少年を主人公として、幕末から明治初期にかけての同島の激動の時代を描いた歴史小説です。

 同書は、司馬遼太郎記念財団主催の第19回司馬遼太郎賞を受賞。文芸春秋社「オール読物」2015年12月号で、「時代小説、これが今年の収穫だ!」にも選ばれました。

公演の詳細についてはポスター画像をクリックしていただくと、大きな画像が出ます。ご覧の上、ご観覧のお申込みをお勧めします。

 

平成29年3月「大塩の乱関係資料を読む部会」の予定

平成29年3月例会予定が下記のように決まりましたのでお知らせします。

日時:3月27日(月) 午後6時00分~8時00分(昨年まで、通常6時30分~8時30分でしたが、今年から30分繰り上がりますので、ご注意ください)。

場所:大阪市立北区市民センター 第2会議室
     北区扇町2-1-27 (Tel 06-6315-1500)

テキスト:「難波美家解(なにわみやげ)」 (古文書) 22枚目左頁1行目「是より吹田村至り・・・」から
      
      「大阪市史史料 近世Ⅱ」(活字)  600ページ下段後ろから3行目「一今日之大塩之焼払候事より・・・・」から。2月は読めませんでしたので、同じ所からです。

講師:本会会長 藪田貫先生(兵庫県立歴史博物館館長、関西大学名誉教授)      

参加費:500円(資料コピー代共)

お問い合せ先: 内田正雄 (Tel 06-6877-2590)

(次回以降、4月は24日(月)です。6時開始です。部屋は第2です)

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2017年1月27日 (金)

平成29年2月「大塩の乱関係資料を読む部会」の予定(日時訂正)

平成29年2月例会予定が下記のように決まりましたのでお知らせします。

日時:2月27日(月) 午後6時00分~8時00分(昨年まで、通常6時30分~8時30分でしたが、今年から30分繰り上がりますので、ご注意ください。また、21と書いていたのは間違いです。申し訳ありませんでした)。

場所:大阪市立北区市民センター 第2会議室
     北区扇町2-1-27 (Tel 06-6315-1500)

テキスト:「難波美家解(なにわみやげ)」 (古文書) 19枚目左頁10行目「可仕と有けれハ一疋の・・・」から
      
      「大阪市史史料 近世Ⅱ」(活字)  600ページ下段後ろから3行目「一今日之大塩之焼払候事より・・・・」から。

講師:本会会長 藪田貫先生(兵庫県立歴史博物館館長、関西大学名誉教授)      

参加費:500円(資料コピー代共)

お問い合せ先: 内田正雄 (Tel 06-6877-2590)

(次回以降は、3月27日(月)、4月24日(月)です。いずれも6時開始です。部屋は第2です)

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酒井一先生七回忌法要ならびに論文集『日本の近世社会と大塩事件』献呈式

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35年の永きに亘って大塩事件研究会会長をつとめられた酒井一先生の遺稿集『日本の近世社会と大塩事件』が1月22日付けで和泉書院から発刊されました。そこで同日、先生の七回忌法要と同書の献呈式が菩提寺成正寺で行われました。

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P1090900b_2集まった方たちは、先生令夫人ならびにご親族、遺品整理を担当された教え子・ご友人・論文集解題執筆者・出版社・大塩事件研究会役員の皆さんです。
式後の会食で参加者全員が先生の思い出を語りました。

 

遺稿集『日本の近世社会と大塩事件』について
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大塩事件研究会では、先生の多数の論文が、ご急逝により、発表当時のまま放置されている状況を憂い、ご業績が次世代にも継承されることを願って、遺稿集を発行することを企画しました。
 本書では、主要な論文21篇を、Ⅰ近世の領主支配と村々、Ⅱ大塩事件、Ⅲ幕末の社会と民衆、Ⅳ地域史と民衆文化 に分類して収録しました。
 冒頭には、先生みずからが半世紀の研究の軌跡を語られたインタビュー記事を掲げ、末尾には年譜と著作目録を付しています。
 Ⅰには本城正徳、Ⅱには松永友和、Ⅲには谷山正道、Ⅳには藪田貫の各氏による解題が付され、先生の業績の近世史研究における位置づけが試みられています。
本書の内容・目次等の詳細は和泉書院のホームページに掲載されていますので、以下のアドレスをクリックしてご覧ください。
http://www.izumipb.co.jp/izumi/modules/bmc/detail.php?book_id=129293&prev=search

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2017年1月 5日 (木)

平成29年活動予定の概要(8月6日改訂)

本年は「大塩の乱」、180年に当たります。
これを記念して、下記のような行事を予定しています。
皆様のご参加とご支援のほど、よろしくお願いいたします。

なお、1月は故・酒井一先生論文集献呈式のため、例会は行いませんので、ご了承ください。

行事予定
◆3月26日(日) 大塩中斎忌法要・記念講演(天理大学 谷山正道氏)
           総会・委員会
◆5月13日(土) 映画『風雲天満動乱』 嵐寛壽郎主演 鑑賞会
◆7月22日(土) 講演会:澤井廣次先生(天理大学・本会会員)
◆10月       フィールドワーク 吹田地区(予定)
◆10月29日(日) 「大塩の乱」180周年 シンポジウム
その他、検討中

各行事の詳細決定次第掲載します。

また、上記以外、「大塩の乱関係資料を読む部会」が8月を除く毎月、活動しています。詳細は表紙のリンクバー「読む部会予定他」をクリックしてご覧ください。

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2016年12月21日 (水)

平成29年1月、「大塩の乱関係資料を読む部会」の予定

平成29年1月例会予定が下記のように決まりましたのでお知らせします。

日時:1月23日(月) 午後6時00分~8時00分(昨年まで、通常6時30分~8時30分でしたが、今年から30分繰り上がりますので、ご注意ください)。

場所:大阪市立北区市民センター 第2会議室
     北区扇町2-1-27 (Tel 06-6315-1500)

テキスト:「難波美家解(なにわみやげ)」 (古文書) 17枚目右頁9行目「後尓及承候十七日夜中・・・」から
      
      「大阪市史史料 近世Ⅱ」(活字)  599ページ上段2行目「迪吉大将軍之御正体ヲ人シレス・・・・」から(前回出来ませんでしたので、同じ所からです)。

講師:本会会長 藪田貫先生(兵庫県立歴史博物館館長、関西大学名誉教授)      

参加費:500円(資料コピー代共)

お問い合せ先: 内田正雄 (Tel 06-6877-2590)

(次回以降は、2月27日(月)、3月27日(月)です。いずれも6時開始です。部屋は第2です)

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2016年12月 3日 (土)

研究会11月例会 講演会「二宮尊徳の仕法と思想」の記録

 <画像をクリックすると、拡大画像が別ウインドウに出ます>

 11月27日(日)午後1時30分から、成正寺で、平塚市博物館学芸員 早田旅人先生による講演「二宮尊徳の仕法と思想」が行われました。

 早田先生は42歳と少壮気鋭の研究者。2014年、東京堂出版から『報徳仕法と近世社会』を出版され、注目を浴びています。
大塩平八郎と同時期に関東で活躍した二宮尊徳。平八郎が武の力で改革を企図した世の中を、尊徳は農の力でどのように改革しようとしたのか聞いてみたいと平塚市からご来阪いただきました。P1090635d

 先生は今回講演に当たって、 「近世後期、二宮尊徳により生み出され、関東地方を中心に荒村復興や領主財政再建を目指した報徳仕法。尊徳の思想もまた、その仕法実践における課題や状況との格闘のなかで生み出され、変化していきました。その意味と特質を近代の報徳運動を見通しつつ考えます」との言葉を寄せていただきました。

 講演内容については、早田先生が『大塩研究』にご執筆いただくことになっていますので、ここでは詳細を述べませんが、一般の人が抱く、「小さなことからこつこつと努力して偉くなった人」(積小為大)だけではない、格闘する尊徳像を見せていただきました。また、尊徳死後、その運動がどのように変容していったかも印象深いものがありました。

 講演レジュメの項目を挙げてみますと

はじめに-金次郎像の虚実

1.報徳仕法・報徳運動の原理
1)「分度」「推譲」:特に領主や富者など社会的強者に実践を要求
2)仕法資金の公共性
3)天道と人道

2.幕臣尊徳の苦闘と思想の変化-仁政論の先鋭化
1)幕臣登用と上司山内総左衛門との確執
2)「天道人道」論の転回
3)仁政論の先鋭化

3.日本「国」意識と対外的危機
1)「国益」と仕法資金の公共性
2)「富国強兵」と報徳仕法
3)海外へ拡大する再分配の視野

おわりに・・・報徳仕法をめぐる公共性の変容と近代報徳運動の展望

以上について、筆者の感想を一部かいつまんで述べてみますと

 まず、はじめにで、「金次郎像の虚実」に驚かされました。P1090636b2
 金次郎像について一般に信じられているのは-金次郎は柴を背負って山道を歩きながら読書をしていた。その努力する姿を称える銅像が戦前はどの小学校にもあった。戦後、戦前思想の排除とともに金次郎像は学校から消えた。一部復活した金次郎像も、歩きながら読書しては目にも悪く、交通事故に遭う危険性があるとの配慮から、座って読書する姿に変えられた-との説です。P1090637b1
 しかし、早田先生によると、実像は違います。江戸時代の書物では金次郎は『大学』の書を懐にしていましたが、歩きながら読んでいたのではなく、誦んじていたとあるそうです。歩きながら読書する姿は、明治24年、幸田露伴『二宮尊徳翁』の挿絵以来だというのです。明治42年になっても、道端で座って読む画像があるようです。
 また、P1090638b1学校から金次郎像が消えた原因も、戦中、金属供出のため撤去されたからが真相だというのです。
 通説と真相が如何に異なるかを示しているとのこと。尊徳の仕法・思想も近代に造形・改変・隠蔽されて理解されているとの説明に目を開かされました。

 1.の尊徳思想の核心、「分度」と「推譲」について
当時村落における格差の拡大・貧困層の増加は抜き差しならぬ状態になっていました。これでは共同体の維持が出来ないと考えた尊徳は、富者は分度内で生活して、余剰を貧者に推譲(再配分)し、全体としての繁栄を図る仕法を説きました。しかも、仕法で生み出される富は一村・一藩の所有物ではなく公共物として領域横断的に融通・分配されるべきだとしました。また、天道(自然)に沿わねばならないが、人間営為がなければ富は生み出せないと、人道の大切さを強調しました。P1090670b

 これらは、現代の格差社会に通ずる考えだと筆者は感じました。世界は今格差による社会の分断に悩んでいます。分度・推譲・報徳金など、尊徳の仕法は良い処方箋ではないでしょうか。

 2.以下で、幕臣となった尊徳の苦悶・思想の変化、急変する国際情勢に対する尊徳の考え方、さらに尊徳死後の運動の変節等の説明がありました。
 幕臣になることにより、理想の仕法を目指した尊徳が、上司である山内総左衛門の保身行為に阻まれるのは、大塩の献策が上司に入れられなかったことと通じます。そのため尊徳の仁政論(公権力の責任追及)は先鋭化していきますが、体制の変革思想には至らなかったようです。

 尊徳の死後、幕府の瓦解もあり、尊徳運動は変容していきます。仁政論は切り捨てられ、人道は通俗道徳化していきます。さらに太平洋戦争中は国家権力に奉仕する運動に変節します。戦後になっても公権力への主体性欠如の状態は変わらず、通俗道徳の域に留まっているとのことです。

 このように、尊徳の思想が時代により変容していく様子をご説明いただき、非常に興味深く感じました。
 筆者は、尊徳の仕法は世界史的にどのような位置づけになるのか今疑問に思っています。当時所得の再分配を、制度として体制側に実施させたのは、世界でも珍しいのではないかと思いますが、どうでしょうか。知りたいところです。 

 同じように大塩の乱が持つ意味も、時代により変わってくると思われます。我々の研究課題でしょう。P1090666b

 最後におまけとして、尊徳の大塩平八郎観です。乱後興味を持った尊徳は大阪在住の小田原藩士伊谷治武右衛門に問い合わせています。伊谷からは悪評が返ってきたようですが、尊徳はそれを信じたようです。
 しかし、それぞれの書面を額面通り受け取って良いものか、今後の研究が待たれます。P1090667b2

以上 (文責 井上宏

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2016年12月 1日 (木)

当会元副会長 故 井形正寿さんがNHKテレビ「探検バクモン」で取り上げられます

 当会元副会長として、永年功績のあった 故 井形正寿さんNHKテレビ「探検バクモン」で取り上げられるという情報を、会員からいただきました。ただし、井形さんは福島区の歴史研究会事務局長も永く務めておられ、その仕事に関係した取材内容ということです。

放映日は
12月30日(金)朝8時20分~9時33分(滋賀・和歌山・奈良・兵庫・大阪・京都)
12月28日(水)夜7時30分~8時40分(上記以外の地域)

 この回のテーマは「お札」です。お札は新札となる度に、若い番号が縁の公的機関に交付されるそうです。1万円札の顔が聖徳太子から現在の「福澤諭吉」に替わったのがD号券の1984年。さらにそれが偽造防止技術を施した、現在のE号券に替わったのが2004年です。

 そのE号券の印刷7枚目、A000007Aが井形さんが事務局長を務められていた福島区歴史研究会に交付され、井形さんが交付式で受け取られたそうです。

 若い番号が民間に交付されるのはレアケースなので、当時多くのマスコミが取材に来たそうです。今回の探検バクモン「お札特集」でも、その経緯が取り上げられることになったようです。

 1万円札表紙が福澤諭吉となった1984年当時、諭吉が中津藩大坂蔵屋敷(現福島区福島1丁目)で生まれ、大坂の適塾で学問に励んだことを顕彰するものがほとんどありませんでした。そのため、福島区歴史研究会が猛運動をし、福島図書館に「福澤諭吉記念室」が創られました。

 それが、交付理由の大略ですが、詳しい経緯は『福島区歴史研究会会報』6号
巻頭の「福澤諭吉記念室 誕生秘話」(太田勝義会長 もと市会議員)の後半をご覧ください。
http://o-fukushima.com/rekishi/kaiho6.pdf (福島区歴史研究会ホームページ内)

番組は井形さんの経歴にも興味を持って取材したようで、73分番組の内3分ほどですが、どういう「物語」になっているでしょうか。
ぜひ、ご覧ください。

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2016年11月29日 (火)

平成28年12月、「大塩の乱関係資料を読む部会」の予定

12月例会予定が下記のように決まりましたのでお知らせします。

今回は 1.読む会例会と、 2.忘年会 の2部構成です。

日時:12月19日(月) 

1部 午後6時~7時20分

場所:大阪市立北区市民センター 第2会議室
     北区扇町2-1-27 (Tel 06-6315-1500)

テキスト:「難波美家解(なにわみやげ)」 (古文書) 15枚目右頁8行目「桑田勘兵衛言此兵次盤学才・・・」から
      
      「大阪市史史料 近世Ⅱ」(活字)  599ページ上段2行目「迪吉大将軍之御正体ヲ人シレス・・・・」から

講師:本会会長 藪田貫先生(兵庫県立歴史博物館館長、関西大学名誉教授)

参加費:500円(資料コピー代共)

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2部 午後7時30分~9時30分頃

場所:和食鍋処「すし半」天神橋
    大阪市北区天神橋4-6-23 (Tel 06-6351-8080 )
    天神橋4丁目商店街

会費:お酒を飲む人 3500円、飲まない人 3000円

お問い合せ・お申し込み先: 内田正雄 (Tel 06-6877-2590)


<次回は、1月23日(月)です。時間は6時30分に戻ります)

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研究会本会の次回は3月26日(日)です(1月27日改訂)

本会の次回予定は

3月26日(日) 法要・総会・記念講演

講師・演題は、天理大学教授 谷山正道先生による「大和から見た大塩事件」を予定しています。

時間その他、詳細決定次第掲載します。日程をお取りいただくようお願いします。

お問い合せ先 事務局 内田正雄 06-6877-2590

2016年11月 7日 (月)

10月例会・フィールドワーク「西村履三郎・常太郎ゆかりの地を訪ねる」

10月23日のフィールドワークは、「狗賓童子の島」の主人公西村常太郎及び父親で大塩門人の西村履三郎ゆかりの地を歩きました。(「狗賓童子の島」は飯島和一著、第19回司馬遼太郎賞受賞作品です)。案内人は志村清さん。参加者は25名でした。

 この地については、本ブログ「大塩ゆかりの地を訪ねて④『八尾に西村履三郎の故地を訪ねる』」でも紹介しています。また、「大塩研究」26号の「洗心洞通信」で、会員の土井さんが今回の報告を執筆される予定です。そこで、本ブログでは、写真を基に行程をたどることにしました

P1090353b

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左:13:00 JR大和路線 志紀駅に集合。

右:駅東口広場で、さっそく志村さんの解説。「この辺りに旧大和川が流れていました。氾濫を繰り返したので、宝永元年に付け替えになりました」
(スマートフォンでご覧の方は、左・右を上・下と読み替えてご覧ください。以下同様です)
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左:この流れが旧大和川の名残です。|右:弓削道鏡ゆかりの弓削神社(東弓削)小さな社殿です

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左:弓削神社(西弓削)、こちらは大きな社殿です。|右、この石灯籠は四代目西村七右衛門が寄進したものです。

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右:西村市郎右衛門頌徳碑|左、由来記:市郎右衛門は、大和川付け替えで水不足に悩む村民のため、幕府の許可を待たず、樋を開いて村に水を流したため罪を得て死んだ。大正時代に頌徳碑が作られたと説明している。西村一族は、地域のために尽くしていたんですね。

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左:西村一族の墓石(志紀霊園)|右:左殿家(履三郎長男常太郎改め、左殿貫の一族墓石

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左:この辺りに西村常太郎屋敷の冠木門がありました。医師となった常太郎は、冠木門から馬で往診に向かいました。写真左手に左殿政逸建立の観音堂|右:観音堂

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左:聞法寺に残る西村履三郎屋敷門|右:聞法寺内部

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左:寺にある立派な六曲二双の屏風絵(作者・画題不明とのことでしたが、本ページ制作者が調べ、福田眉仙筆の楠妣庵之図と分かったので、連絡しておきました)。|右:神剣(みつるぎ)神社を訪れました。大塩平八郎門人 渡辺良左衛門が自害したのが、この場所とも、次の五条宮址とも言われています。

P1090412bP1090414b

左:五条宮址 |右:これで今日のフィールドワークは終了です。こちらで解散します。ここから歩いて数分でJR八尾駅です。皆さん今日はお疲れ様でした。(16時40分でした)

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2016年11月 6日 (日)

大塩事件研究会 予定と記録 2017.09.18 改定

1.次回の予定 →

2.本年活動予定 → 

3.記録
2017.7.22 講演会「幕末期の社会変容と慶応二年大坂打ちこわし」

2017.5.16 「大塩の乱 180年記念映画会」

2017.3.26 181回忌大塩父子及び関係殉難者怨親平等慰霊法要及び記念講演会「日本の近世社会と民衆運動-大塩平八郎の乱を視野に入れながら-」 

2017.1.22 酒井一先生七回忌法要ならびに論文集『日本近世社会と大塩事件』献呈式

2016.11.27 講演会「二宮尊徳の仕法と思想」 早田旅人先生

2016.10.23. フィールドワーク「西村履三郎・常太郎ゆかりの地」

2016.7.24  講演会「大塩平八郎の詩心」 福島理子先生

2016.5.7   フィールドワーク「生誕180年記念 富岡鉄斎展」

2016.3.27.  大塩父子及び関係殉難者怨親平等180回忌慰霊法要
          講演「御用金政策に見る豪商と大坂町奉行所与力の関係」

11月 大塩事件研究会例会のテーマは「二宮尊徳」です

1.日時 11月27日(日) 午後1時30分~

2.場所 大塩家菩提寺 成正寺
      大阪市北区末広町1番7号
      電話 06-6361-6212
      地下鉄南森町下車⑥出口北へ一筋目、寺町筋を西へ入る北側

3.講演「二宮尊徳の仕法と思想」 
  
    平塚市博物館学芸員  早田旅人先生

  講演の概要について、早田先生の言葉

  「近世後期、二宮尊徳により生み出され、関東地方を中心に荒村復興や領主財政再建を目指した報徳仕法。尊徳の思想もまた、その仕法実践における課題や状況との格闘のなかで生み出され、変化していきました。その意味と特質を近代の報徳運動を見通しつつ考えます」。

4.参加費  500円

お問い合せ先  内田正雄 06-6877-2590

奮ってご出席のほど、お願いします。

本ブログ制作者から一言:
 「大塩事件研究会が何故、講演会のテーマに二宮尊徳を選んだのか、疑問に思う人も多いと思います。
 実は、大塩平八郎と二宮尊徳は、関西と関東、地域こそ異なれ、全く同時期に活躍した人です。

 また尊徳を抜擢した小田原藩主大久保忠真は、大塩平八郎が東町奉行所在勤中の1810年から1815年に大阪城代を務めています。しかも平八郎は建議書で忠真を不正無尽の罪で告発しています。

 このように、世間で全く関係がないように思われている平八郎と尊徳の間に、意外な関係があるのです。平八郎が武の力で改革を企図した世の中を、尊徳は農の力でどのように改革しようとしたのか、大いに興味のあるところです。

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2016年11月 4日 (金)

平成28年11月、「大塩の乱関係資料を読む部会」の予定

11月例会予定が下記のように決まりましたのでお知らせします。

日時:11月28日(月) 午後6時30分~8時30分

場所:大阪市立北区市民センター 第4会議室(いつもの第2から変更です)
     北区扇町2-1-27 (Tel 06-6315-1500)

テキスト:「難波美家解(なにわみやげ)」 (古文書) 13枚目右頁7行目「此文越巻て黄なる絹・・・」から
      
      「大阪市史史料 近世Ⅱ」(活字)  595ページ下段5行目「一.寺之仮屋居間六畳・・・・」から(前回も出来ませんでしたので、同じ所からです)。

講師:本会会長 藪田貫先生(兵庫県立歴史博物館館長、関西大学名誉教授)      

参加費:500円(資料コピー代共)

お問い合せ先: 内田正雄 (Tel 06-6877-2590)

(次回は、12月19日です。12月は忘年会を兼ねますので、いつもより早く、6時開始です。部屋は第2に戻ります)

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2016年10月 5日 (水)

大塩ゆかりの地を訪ねて⑤「東海道五十七次 守口宿と大塩平八郎

 大阪天満橋から京阪電車で一〇分ほど、「守口市駅西口」を出るとすぐ目の前に「守居橋」という陸橋が見えます。この土手は太閤秀吉が築いた旧京街道の一部「文禄堤」で現在でも約七〇〇mにわたって残っております。歌川(安藤)広重の「東海道五十三次」(江戸日本橋~京三条大橋)が、有名ではあるが、実は元和二年(一六一六)京街道の「伏見・淀・枚方・守口」の四宿を加え、江戸日本橋~大阪高麗橋までを東海道とし五十七宿となったようです。

 「守口」の地名はもともと「森口」と表記されていたものが、大阪城に一番近い宿驛でお城の「守り口」として現在のような表記になったとも伝えられておりますが、それ以前から既に守口と呼ばれていたとの説もあり真偽のほどは不確かで
す。Siraikesyoinato_3

 この街道を北に進み国道一号線と交わるところで枡形に右に折れたあたりが守口宿の中心で 本陣・問屋場・高札場等がありました。そこに大塩平八郎ゆかりの書院(門弟白井孝右衛門宅)がありましたが、今はその跡地に史跡碑・当時の書院の写真が建てられております。この書院で平八郎が北河内近郷の人々に陽明学の講義をしたと伝えられており、特に乱の前には頻繁にここを訪れたともいわれ、ここ守口でも乱の謀議がなされたのでは?ともいわれております。乱のときにはこの屋敷の松の大木を使って大筒を作ったそうです。また事件当日には守口近郷から二〇〇人近くの農民たちが参加しており、乱後多数の処罰者も出ております。

 この街道を一〇〇mほど進むと戊辰戦争後の慶応四年三月明治天皇大坂御親征時の行在所となった難宗寺があり、ここで京街道はまた左に折れ、少し進むと盛泉寺がありますが、ここには文政一三年大塩が内山彦次郎宛に出した書簡の原本が今も残されています。

 また、守口に隣接する門真三番村からは茨田軍次、般若寺村からは橋本忠兵衛などがでており、北河内のこの地域が大塩の乱に深くかかわっていたことが窺えます。
(白井孝彦・本会会員)

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2016年10月 4日 (火)

洗心洞通信63号(大塩研究第75号 2016年9月)

◇二月例会 

 二月六日成正寺にて、二二名が参加して行われ、山形隆司氏(日本福祉大学知多半島総合研究所)から「文政一三年のおかげ参りと大坂」と題して講演をいただいた。 

「おかげ参り」は、江戸時代に全国各地から伊勢神宮へ群集が押し寄せた現象で、神意の現れとしての奇瑞(飛び神明)を根拠として展開した。慶安三年(一六五〇)以降数回起こっている。 

今回は阿波から始まり全国に波及、参宮者が約四二八万人と云われている文政一三年(一八三〇)の事例を取り上げた。 

 大坂からの参宮の事例としては二組が、同伴者・ルート・費用まで明確に検証されていた。 

また、南河内において「お陰踊り」が発生するが領主より禁止されたこと。故長谷川伸三先生より「読む部会」で学んだ、『竹園日記』に記載された内容も取り上げられており、非常に興味深かった。

 

当日の参加者は、有光友昭、伊藤誠一、井上宏、上島朱實、内田正雄、斉藤正和、柴田晏男、志村清、白井孝彦、清水玉子、田中忍、橋本久、畑中進、長尾武、二木貴久、政埜隆雄、松浦木遊、安田信之、薮田貫、山口五十二、山崎弘義、吉川直樹 計二二名(内田)

 

◇大塩中斎一八〇回忌法要・記念講演と総会 

 二〇一六年三月二七日午後一時半から成正寺において、同寺主催の「大塩父子・殉難者一八〇回忌怨親平等慰霊法要」が有光友昭住職によって営まれ、本堂にて看経の後、墓碑に展墓した。また、本行事はテレビ(BS11)や、日蓮宗新聞の取材があった。 

 その後、本会主催の記念講演会が行われた。講師は神戸大学経営経済研究所准教授 高槻泰郎先生、演題は「御用金政策に見る豪商と大坂町奉行所与力の関係」だった。(講演の概要は後述) 

 小憩の後、内田正雄事務局長の司会進行で総会が開催された。藪田貫会長の開会挨拶に続き、二〇一五年度事業報告、会計報告があり、土井裕子会計監査委員から会計監査報告がなされた。その後、二〇一六年度事業計画の報告の後、閉会挨拶を経て総会は終了した。 

 なお、本年は役員の改選期ではないが、委員で「大塩研究」の編集長を務めておられる辻不二雄氏が、社業の都合で編集長を退かれることになり、会員の宮元正博氏(池田市立歴史民俗資料館学芸員)が委員に就任され、編集長を引き受けていただくこととなった。
 

 当日の参加者は、有光友昭、安藤久子、井上宏、岩坪守、上島朱實、内田正雄、奥村勇、紙谷豊、木村雅英、斉藤正和、酒井妙子、柴田晏男、志村清、白井孝彦、清水玉子、高木恵美、田中忍、辻不二雄、亭島吉秀、土井裕子、名倉延子、福島孝夫、藤田恵玄、長尾武、政埜隆雄、松井英光、松浦木遊、松永友和、宮元正博、森田康夫、安田信之、薮田貫、山崎弘義、吉川直樹、

 三四名 (以上 内田)

 

講演の概要について 

 二〇一五年度下半期に放送された、NHK「連続テレビ小説 あさが来た」は、今世紀最高の視聴率を記録したようである(平均視聴率二三・五%)。その放送がまだ終わっていない三月二七日に、時代考証や資料提供を宮本又郎氏らとともに行った高槻泰郎氏によって、研究会総会の記念講演会「御用金政策に見る豪商と大坂町奉行所与力の関係」が行われた。 

 講演の前半は、「あさが来た」のヒロイン・白岡あさのモデルとなった加島屋(廣岡家)についてであり、後半は、御用金政策の実態と与力との関わりについての内容であった。まず、加島屋の概要説明の後、続く「加島屋久右衛門の商いとは?」において、大名貸と入替両替(米切手を担保に金を貸す)について、詳しい説明がなされた。すなわち、大名貸というと借金が踏み倒される場合が多く、商人は泣き寝入りしたと思われがちだが、うまくやれば踏み倒されなかったこと、もし大名が借金踏み倒しを行えば、大坂商人の強烈なしっぺ返しを受けることなどが解説された。さらに、萩藩が加島屋とパートナーシップを構築したように、一八世紀以降、大名貸商人と大名との間で新たな関係が形成された点も指摘された。また、古文書・史料についての説明もあり、二〇一五年五月に発見された「岡橋家旧蔵廣岡家文書」に触れられ、研究のまさに「最前線」を、ご披露いただいた。 

 講演の後半は、御用金政策についてである。これまでの研究では、御用金は「強制的」に行われたと説明されることが多かったが、そうではなく「(半)強制的」だったと述べる。この「半」がポイントであると高槻氏は言う。それは、江戸から降てくる政策が、大坂において必ずしも円滑に達成されたわけではなかったためである。まず、御用金政策の説明の後、「初期の御用金政策」と「文化年間以降の御用金政策」について述べられた。特に政策の実施過程に注目され、江戸幕府と大坂町人との間の上納金額を巡る交渉時に、与力が両者の間を取り持ったこと、その役割が大きかったことなどが解説された。 

 今回取り上げられた加島屋久右衛門については、大坂研究に少しでも関わる者にとっては馴染みのある名前だが、その商いの内実を語れる者は決して多くはない。それは、大名貸や御用金などの大坂金融市場については、その構造が複雑であり、前提となる経済史的な知識なしでは理解し難いためである。今回、この難解なテーマをわかりやすく、かつテレビ放送と関わってご苦労された点なども含め、楽しくお話しいただいた。参加者一同、非常に意義深い時間を過ごすことができた。 (松永)

 

◇新しい大塩平八郎画像の掛け軸が発見された 

 この法要・記念講演の際、新発見の大塩平八郎像掛け軸が披露された。 

これは、前会長・故酒井一先生の未整理の遺品から出てきたもので、大正年代に制作されたもののようである。掛け軸の状態はそれほど悪くはないが、羽織の家紋が大塩家の揚羽蝶でなく、白地になっている等、疑問点も多く、今後の調査が必要である。 

賛には「大塩平八郎名は後素字は子起中斎と号す大阪の与力なり少より読書を好み尤も王陽明の人物と学問とを慕う又能く吏務に熟達し大阪町奉行高井某に徴用せらる文政十二年姦吏等窃かに豪商数人と謀り政を乱り人を苦しむるの事あり事権貴の家人某に連及せるを以て人懼れて敢て之を問ふ者なし平八郎憤然捜索して悉く之を執へ其私する所三千余金を収めて市民に与ふ其成績大に揚て其名遠近に聞ゆ後致仕して専ら諸生に教授す天保八年米価俄に騰貴し市間餓死する者多し平八奉行に説て貧民を賑さんことを望めども言納れられず乃ち蔵書を売りて貧民を賑わし又危激の策を廻らし暴吏と富豪とを懲らして其財を貧民に分かたんとす謀露れ囲まれて自殺す年四十六」とある。なお、画像は「大塩事件研究会のブログ」にカラーで掲載しているので、ご覧いただきたい。(井上)

 

◇五月例会(フィールドワーク) 

 五月七日(土)、兵庫県立美術館で開催されている「生誕一八〇年記念 富岡鉄斎ー近代への架け橋ー展」を見学した。 

何故、富岡鉄斎展へ? 

 近代文人画の巨匠 富岡鉄斎は大塩平八郎の肖像を所蔵し、大塩の乱に関心を持っていたらしい。 

 有名な菊池容斎画の大塩像は同じものが二点存在する。その内の一点は大阪城天守閣蔵、もう一点は東北大学蔵だが、後者は富岡鉄斎が所蔵していたものである。 

 なぜ彼がそれほど大塩平八郎に心を寄せたのか、大塩事件研究会員としても、富岡鉄斎に関心を持ってしかるべしと、鉄斎展に出かけた次第である。 

富岡鉄斎とは何者か  一八三六年、大塩の乱前年に京都の法衣商で石門心学者・富岡維叙の次男として生まれた。幼少から国学・儒学・仏教等の学問を広く修め、書画にも親しみ、幕末の動乱期には勤皇学者として国事に奔走し、明治維新後は神官(堺大鳥神社宮司)を経て、八九歳で亡くなるまで、文人画家として多くの書画を世に送り出した。多岐にわたる壮大なスケールの作品は、後世の画家たちにも大きな影響を与えた。彼は画家として食を得ていても、あくまで学者としての矜持を失わなかった。万巻の書を読み、万里の路をゆき、以て画祖をなす というのがモットーだった。 

展覧会の構成 鉄斎のモットーに従い、一.万里の路 二.万巻の書 三.画祖となる 四.文人鉄斎の娯しみ 五.画家たちが見た鉄斎 の五構成で約二〇〇点の作品・資料が展示された。 

◆参加者一行は、まず学芸員 飯尾由貴子さんの懇切丁寧なレクチャーを受け、鑑賞した。予定した時間ではとても足りず延長したが、それでも後ろ髪を引かれながらの解散となった。自由解散後は皆さん食事や神戸散策を楽しまれたようだ。

 

 当日の参加者は、一瀬雅子、井上宏、上島朱實、内田正雄、柴田晏男、白井孝彦、土井裕子、中村和子、名倉延子、福島孝夫、薮田貫、山口五十二、山崎弘義、 

計一三名。(井上)

 

◇広報用リーフレットとホームページの作成 

 来年大塩の乱一八〇年を迎えるに当たって、会員増加を図るため、懸案となっていた、当会を紹介するリーフレットとホームページを作成した。リーフレットは、A4裏表カラー印刷を三つ折りにしたもの。表紙は菊池容斎画の大塩平八郎像。「大塩事件研究会入会のご案内」 「大塩の乱とは」「研究会活動内容」「大塩事件研究会の歩み」「大塩の乱ゆかりの史跡」「ご入会について」等を記載している。会員諸氏も是非ご利用いただきたい。 

 ホームページは経費の関係で一応ブログを利用しているため「大塩事件研究会のブログ」という名で展開しているが、限りなくホームページに近い作りにしている。 

大塩の乱を扱ったホームページとしては、従来、当会会員の個人的ホームページ「大塩の乱資料館」があって、乱に関する諸資料が豊富に掲載されており、研究者を中心に重宝がられている。従って、研究会のホームページは、会の行事予定や活動実績、各種お知らせを中心として掲載することとした。アドレスは

 

http://oosio-jiken-kenkyuu.cocolog-nifty.com/blog/

 

ホームページ名で検索可能なので、ぜひご覧いただき、ご喧伝いただきたい。(井上)

 

◇『大塩事件と泉殿宮・宮脇家』 

 藪田貫会長による講演会が四月二八日吹田歴史文化まちづくりセンター(通称 浜屋敷)で行われた。 

 通常は古民家の藏を改装したサロンで行われているが、今回は多数の出席が見込まれ同センターの和室に変更。満員の出席者の中には、泉殿宮宮脇一彦宮司(本会賛助会員)・吹田市立博物館中牧弘允館長の姿も見られた。 

 講演では「大塩事件」の概要と三枚の肖像画を見比べ、大塩平八郎は大坂の近代の鍵を握る人物であったと説明。また、時の文化人との交流などから、人間くさい人であり、文人としての再評価が必要と語る。 

 吹田市民が知りたい、平八郎の叔父に当たる宮脇志摩については、当日乱には加わらないが、遺棄された大砲の台車に氏名が書かれた主謀者の一人と述べる。 

 終了後の質疑応答では、大塩と交友があり、子息二人を洗心洞に入れた、旧吹田村の豪農橋本清大夫についての質問が出るなど、地元の関心の高さを感じた。(内田)

 

BS11「尾上松也の古地図で謎解き!にっぽん探究」で「大塩平八郎の乱」が放映された 

 同番組の第三三回 腐敗と格差への反逆「大塩平八郎の乱」が五月二四日午後九時から一時間に亘って放送された。 

 大塩の乱において、 

  ①役人・大塩が幕府にはむかった理由、 

  ②なぜ自らの豪邸に火をはなったのか 

  ③事件後の逃亡・・・歴史を変える新事実 

 これらの謎を、歌舞伎俳優・尾上松也さんと尾上右近さんが古地図を片手にひも解いた。 

 案内人は当会の藪田会長、内田さん、志村さん。志村さんはロケのお膳立てに尽力いただいたが、画面には藪田会長と内田さんだけの登場となった。 

 この番組の取材から放映に至る詳細については、本誌別欄で内田事務局長が報告しているので、ご覧いただきたい。(井上)

 

◇『瓦で政治の動きがみえる!』 

 吹田郷土史研究会藤原学会長による『吹田の古瓦を観る楽しみ』と題する講演会が、五月二九日吹田市のメイシアターで行われた。 

 この中で、白井孝右衛門衛門宅の瓦が取り上げられていたので、配布資料より転載する。 

 守口市の旧白井家住宅には、なんと江戸後期(文政七・九年)の吹田瓦が葺かれていた。白井家の当主孝右衛門は大塩平八郎の私塾・洗心洞の門下に入り、当家の離れ座敷で大塩は陽明学を講義していたという。天保八年(一八三七)に勃発した大塩の乱では泉殿宮宮司の宮脇志摩が乱に及んで行動を起こし、志摩の自害(実際は、さらに逃亡して豊中市内で死亡という。)と宮司家追放という大事件へと発展する。瓦は淀川をはさんだ吹田と守口の激動を示していたことになる。(内田)

 

◇大塩が好物にしていた「とりゐ味噌」 

 会員の上島朱實さんから「江戸時代から続くキタのとりゐ味噌」という見出しの、五月三〇日付産経新聞朝刊の切抜きを送って頂いた。 

 記事によると大阪天満宮の近くにある老舗みそ店「とりゐ味噌」は江戸時代から続く伝統の味が、今でも地元の方や参拝客のほか、外国人観光客にも人気がある。 

 現在の店主が伝え聞いた高祖母の話しでは、『江戸後期の大坂町奉行所の与力、大塩平八郎も常連で好物にしていた』という。 

 また文豪、谷崎潤一郎の妻松子は同店宛の礼状に、「白みそで作った上方風の雑煮で正月を祝えたことへの心遣いに感謝している」と書いているとのこと。(内田)

 

酒井一先生蔵書と所有史料などについて 

 先般、先生の蔵書約一万冊の納め先についてはドイツ(ベルリン国会図書館、ボン大学)へ送付したとのご報告をさせていただきました。ドイツが引き取るものは雑誌、手書き原稿、古文書類を除いたものとなっていましたので、古典籍、古文書類は自宅に残しました。 

古典籍については、酒井先生教え子(坂野加代子氏)が京都大学図書館司書であったことから協力を得て、京都大学にない古典籍なら引き取るということで、京都大学に寄贈しました。 

 残る物については、手付かずでありましたが、藪田先生と相談の結果、史料的価値がありそうなものも存在するということから、関西大学なにわ大阪研究センターに送ることにしました。そこで分析してもらい、しかるべきところに置いてもらうことになりました。 

 送る史料の総量(内容は別として)は、段ボール大箱1箱、ミカン箱4箱、プラスチック化粧箱4箱となります。 

 また生前、大塩関係の史料の散逸を避けることから、収集されてきた大塩関連「掛軸」については、藪田先生と相談して、成正寺に寄贈し保管されるのがいいのではないかとアドバイスを頂きその方向で進めていきます。 

 中身については包装紙に包んだままのものは開封せずに送ります。研究会のほうで見ていただきたいと思います。分かるものとしては、思文閣から購入された「平松君の要望で書いた軸」(購入価格は六〇万円)などがあります。全部で9幅。 

 これにより、酒井家にある酒井先生の研究事項、大塩並びにその時代に関連した史料などについては全て関係諸機関などへ寄贈・送付されたことになります。(岸本隆巳)

 

◇会員の動静 

◆島田耕氏が監督として制作したドキュメンタリー映画『びわ湖・赤野井湾 2015』については、本誌七三号の本欄にも紹介された。 

 この度「オール沖縄」のたたかいの源流を描いた、長編ドキュメンタリー映画『沖うちなあ縄ぬ思うむい』を、制作委員会の副代表として完成した。 

 現在、各地で試写会・上映会を開催中。今も基地がある故に、いろいろな事件や事故が起きて県民が苦しんでいる沖縄。機会を得て沖縄の歴史、県民のご苦労、また豊かな自然を知るためにも是非見たいと思う。(内田)

 

◆長尾武氏は退職後、地震・津波研究に打ち込まれ、「安政南海地震津波の教訓」等の著作があり、当会でもご講演いただいている。この度、氏の論文「宝永地震(一七〇七年)津波による大坂市中での津波高・浸水域」が立命館大学歴史都市防災研究所の「京都歴史災害研究第一七号」に掲載された。 

 宝永四年一〇月四日未刻(午後二時頃)日本史上最大級の地震、M八・六の宝永地震が起こり、津波が伊豆半島から九州に至る太平洋沿岸を襲った。海上交通の要衝であった大坂は津波によって、特に甚大な被害を被った。 

 氏は主に三つの観点から検討を重ね、宝永地震による大坂市中での浸水域を推定された。現在の大阪市は、近代以前には田園地帯であった湾岸部が人口稠密な市街地となった。さらに都市化・工業化の進展による地下水の過剰な汲み上げによって、今や海抜〇㍍地帯が二一平方キロに及んでいる。宝永地震クラスの津波が襲ったなら、江戸時代よりもさらに大きな被害を受ける恐れがあると、氏は警告している。(井上)

 

◆久保在久氏(本会前副会長)が、文芸投稿誌「蔕(へた)文庫」(当会委員松井勇氏主宰)に連載しておられる「大阪砲兵工廠(ほうへいこうしょう)物語」が、大阪産業労働資料館のエル・ライブラリーで紹介されたので、その一部を転載する。

 

 「若い人には『大阪砲兵工廠』といっても、今は大阪城公園として整備されている所が、戦前日本最大級、アジア最大級の兵器工場であったことを知らない人が多いと思うが、今回の連載は一九八七年に久保が編纂した『大阪砲兵工廠資料集』(上・下/日本経済評論社)にもとづいており、その大部な『資料集』の実績の上に、明治以降の新聞記事を丹念に追って、見開き二頁の読みやすい分量で、テーマごとにわかりやすく解説されている。 

 『資料集』編纂当時は『戦争の残骸にあたる施設などの研究』は進んでおらず、その頃まだ存命中であった関係者またはその遺族らを訪ね歩いて集めたこの資料集は、『日本産業技術史学会資料特別賞』を受賞したほどに、高い評価を得た。 

 著者の『大阪砲兵工廠』検証の基本的姿勢は、『大阪産業革命の原点』としての評価にあり、この視点が今回の連載にも貫かれている。 

 連載の始まり(一)は、そのような連載の意図が書かれている。 

 (二)では、一八七〇年に始まる工廠の歴史、日本最後の内戦となった西南戦争(一八七七年)における兵器補給廠としての役割が描かれている。東京砲兵工廠に対して、大阪は大砲を中心とする重兵器の生産を任務としていて、西欧先進国の最新技術が取り入れられた。 

 (三)では、西欧の最新技術を吸収するために、イタリアから『外国人教師』を総理大臣を上回る厚遇で招き、その技術指導の果たした役割を追っている。 

 (四)では、『最初の大規模労災』として、一八八〇年八月爆発事故で三〇人が即死、一二名が危篤状態で病院に運ばれたが死亡、この事故の悲惨さを、一二歳の少年工の死去についての新聞記事から拾って記述している。 

 一二歳の少年を雇用していた労務構成への注目や、この事故を『労働災害』として追っている、労働現場を経験している著者ならではの視点が興味深い。 

 紙幅の関係で順を追って紹介はできないが、近く発行される(七)では、大阪砲兵工廠の技術が全国各地に広がった展開が追われている。日清戦争直前に建設された砲台を追って今春対馬まで行き、『砲台跡』を検分して、『歴史を学ぶものはやはり現場に立つべきだ』との思いを強くしたと述べている。 

 この連載を所収している『蔕文庫』(編集・発行人=松井勇と編集スタッフ)は、年四回発行の文芸投稿誌で、ジャンルを問わずユニークな投稿作品が寄せられている。この種の文芸誌が規則正しく季刊で発行され、すでに六〇号を突破していること自体に、心から敬服し、定期発行のためのご努力の大変さを推測する。 

 久保氏は『蔕文庫』が続くかぎり頑張ると言われており、連載をまとめての出版を期待したい。久保氏はこの『蔕文庫』の編集委員でもあり、歴史研究者として知る人ぞ知る存在である。・・(伍賀偕子) 」

 

 以下、久保氏のプロフィールが紹介されているが、これは本誌七一号の「大塩と私」(一八)「久保在久氏に聞く」に詳しいので略す。(井上)

◇会員の訃報  土居年樹氏 二〇一六年八月二三日前立腺ガンのため逝去。享年七九歳。

 永く天神橋筋商店連合会会長を務め、商店街の振興・活性化に取り組む実戦派まちづくりのリーダーであった。
また、上方落語の定席「天満天神繁昌亭」の会館に尽力された。
 本会には二〇一一年六月に入会。入会前の二〇〇六年に「天三おかげ館」を中心に行われた「大塩事件研究会創立三〇周年行事」などにご協力をいただいた。(内田)

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「大塩研究」75号・目次 2016年9月

この言葉(30) … ……………………………………………………… 政埜隆雄… 1

【講演録】文政十三年のおかげ参り・おかげ踊りと大坂周辺地域…… 山形隆司… 5

飯嶋和一著『狗賓童子の島』を読んで… ………………………………松浦木遊… 21

天保能勢騒動 首謀者山田大助の狙いを推理する
首謀者山田太助と「浮世の有様」の著者との葛藤を通して(上)………土岐 稔… 25

大塩と私(20)成正寺 有光友昭師に聞く
  ……………………………………………聞き手 藪田貫・井上宏・内田正雄… 34

大塩関係資料を読む会テキスト「難波美家解」について… ……………藪田貫… 49

資料翻刻「難波美家解」(1)……………………大塩の乱関係資料を読む部会… 51
大塩ゆかりの地を訪ねて(5)
  「東海道五十七次 守口宿と大塩平八郎」… ………………………白井孝彦… 59


古地図で謎解き!「大塩平八郎の乱」…………………………………内田正雄… 60

洗心洞通信(63)………………………………………………………………… ……65

編集後記………… ………………………………………………………………… 75

2016年9月26日 (月)

平成28年10月、「大塩の乱関係資料を読む部会」の予定

10月例会予定が下記のように決まりましたのでお知らせします。

日時:10月24日(月) 午後6時30分~8時30分

場所:大阪市立北区市民センター 第2会議室
     北区扇町2-1-27 (Tel 06-6315-1500)

テキスト:「難波美家解(なにわみやげ)」 (古文書) 9枚目左頁最終行「此の詩を述作して・・・」から
      
      「大阪市史史料 近世Ⅱ」(活字)  595ページ下段5行目「一.寺之仮屋居間六畳・・・・」から(前回出来ませんでしたので、同じ所からです)。

講師:本会会長 藪田貫先生(兵庫県立歴史博物館館長、関西大学名誉教授)      

参加費:500円(資料コピー代共)

お問い合せ先: 内田正雄 (Tel 06-6877-2590)

(11月以降の予定: 11月28日、12月19日です。12月は忘年会を兼ねます)

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2016年9月18日 (日)

研究会本会・10月例会はフィールドワークです

10月例会・フィールドワークの詳細が下記のように決まりました。
野外活動に絶好の季節ですが、帽子・飲み物はお忘れなくご参加ください。

                       記

1.日時: 10月23日(日) 13:00~16:30頃

2.集合: 13:00 JR大和路線 志紀駅改札口
  (大阪・天王寺から快速に乗り、久宝寺駅で各駅停車に乗り換えると早い)

  解散: JR八尾駅 16:30頃

3.内容: 「西村履三郎・常太郎ゆかりの地」
       案内人 志村清氏(本会会員)

  今回は「狗賓童子の島」の主人公西村常太郎及び父親で大塩門人の西村履三郎ゆかりの地を歩きます。
  「狗賓童子の島」は飯島和一著、第19回司馬遼太郎賞受賞作品です。
  この地については、本ブログ「大塩ゆかりの地を訪ねて④『八尾に西村履三郎の故地を訪ねる』」でも紹介しています。
      http://oosio-jiken-kenkyuu.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-e001.html

4.主な見学地
  志紀駅→西村市郎右衛門頌徳碑→弓削霊園→弓削神社(弓削)→聞法寺→神剣神社→五条宮跡→八尾駅(解散)

5.参加費:500円(保険・資料代ほか)

6.お問い合せ先: 内田正雄 06-6877-2590
  当日の連絡:  〃      090-5138-8421

ご参加をお待ちしています。

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2016年7月29日 (金)

平成28年9月、「大塩の乱関係資料を読む部会」の予定

9月例会予定が下記のように決まりましたのでお知らせします。

日時:9月19日(月) 午後6時30分~8時30分

場所:大阪市立北区市民センター 第2会議室
     北区扇町2-1-27 (Tel 06-6315-1500)

テキスト:「難波美家解(なにわみやげ)」 (古文書) 7枚目左頁12行目「天満与力大塩平八郎・・・」から
      
      「大阪市史史料 近世Ⅱ」(活字)  595ページ下段5行目「一.寺之仮屋居間六畳・・・・」から

講師:本会会長 藪田貫先生(兵庫県立歴史博物館館長、関西大学名誉教授)      

参加費:500円(資料コピー代共)

お問い合せ先: 内田正雄 (Tel 06-6877-2590)

(10月以降の予定: 10月24日、11月28日です)

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7月24日に行われた研究会7月例会の様子をご覧ください

7月24日午後1時30分から、成正寺で、帝塚山学院大学教授 福島理子先生による講演「大塩平八郎の詩心」が行われました。P1080851c

乱の指導者として世間的には有名で、謹厳実直な面のみ強調される大塩平八郎が、実は繊細な詩心を持った詩人であったことを、残された詩軸を中心に説明されました。

会場に展示された詩軸3点は、酒井一前会長の遺品です。
岸本隆巳さん(酒井先生の教え子であり、遺品整理に当たられた)のご説明では、蔵書1万点がベルリン国会図書館とボン大学に、古典籍が京都大学図書館に寄贈されました。また、その他の詩軸等が成正寺に寄贈されましたが、その内の3点が今回の教材として使われた訳です。

P1080854b_2

講演内容は、福島先生が「大塩研究」にご執筆いただくことになっていますので、ここでは多くを述べませんが、普段余り目に触れることもない漢詩で、理解が難しいのではないかと心配していた受講生にも分かりやすく、感動的でした。

題材となった大塩の漢詩は、展示3点の他、「洗心洞詩文」から3点の計6点でしたが、それに関連する頼山陽や篠崎小竹の詩も4点取り上げられました。

当時は、大坂の混沌社を中心に詠史詩が盛んでした。詠史詩とは歴史に題材を取りながら、時局を諷刺・慨嘆する漢詩です。大塩の詩も時局柄詠史詩が多いのは当然ですが、その詠み方は情感が豊かです。

春愁や秋愁を詠む詩でも、酒を飲み、春風に吹かれながら川の景色を楽しむ詩や、箕面に紅葉狩りに行った際、誤って枝を折り山僧に縛られた人を助けた詩などを読むと、大塩の人間性が感じられます。
大塩のよく知られている厳しい面は、与力として・教育者としての必要性から出たもので、その裏には繊細な詩心が潜んでいたことを今回の講演でよく理解できました。

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【左の詩・読み下し文】(写真をクリックすると拡大写真が示されます)

世 将に有事ならんとして無倦に至る
五行 乖暌して民飢に泣く
東海 雪中に死馬を餐ひ
空村 眼下に生児を棄つ
春に匝(めぐ)るも 新麦 還(ま)た枯寂
曉を送る 朝暾 何ぞ老衰せる
薪木 
底に含む 星火を点ずるを
阿誰(だれ)か 撲滅せん 心思を悩まするを

 甲子正月十有三日歩野外有所感而餞之應
 平松君需         洗心堂後素

無倦=飽きることなく努力すること、乖暌(かいけい)=道理に背くこと、暾(とん)=あさひ、星火=小さな火 埋み火

【真ん中の詩・読み下し文】

蜀道 塵を茲の山蹕に蒙り
興亡 才かに繋ぐは 魯公の功
祇今 
遠く匝る 行宮の跡
石佛 言う無く 寥として風嘯く

  城州の笠置山に上る 舊製  洗心堂主人

※蒙塵=政権を奪われること、茲=ここ、蹕(ひつ)=天皇の行幸、魯公=楠木正成を暗示する、

【右の詩・読み下し文】

一瓢 景を探りて 春風に酔ふ
酔ひて江塘を踏めば 斜日空し
萬丈の
金龍 動きて浪に乗る
知らず 晴月の正東より上がるを

 春日江頭醉帰偶成  
洗心堂後素

【詩軸ではないが、洗心洞詩文から、世間の大塩像とは異なる一面を示す詩】

箕山の楓を尋ぬるに人の其の一枝を誤るあり。山僧集まりて之を拘へ面縛す、予其の無知なるものの妄作して此に陥るを憫み、且つ僧の為す所の慈ならざるを悪む。故に僧に告げて以て其の囚を釈さしめ、戯れに絶句を賦して其の僧に贈る

律厳法具梵王宮 (律厳にして 法具す 梵王宮)
赤子猶懲縲絏中(赤子 猶ほ懲せらる縲絏の中)
楓葉容看不容損(楓葉 看るを容れて 損ずるを容れずとならば)
明朝定捕五更風 (明朝 定めて捕へん五更の風)

※縲絏(るいせつ)=罪人として捕らわれること、五更=寅の刻 午前3時から5時頃

(文責 井上宏


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2016年7月 3日 (日)

平成28年7月、「大塩の乱関係資料を読む部会」の予定

7月例会予定が下記のように決まりましたのでお知らせします。

日時:7月25日(月) 午後6時30分~8時30分

場所:大阪市立北区市民センター 第2会議室
     北区扇町2-1-27 (Tel 06-6315-1500)

テキスト:「難波美家解(なにわみやげ)」 (古文書) 6ページ1行目「廿日市中先・・・」から
      
      「大阪市史史料 近世Ⅱ」(活字)  593ページ上段13行目「10.大塩の乱で
       類焼した川崎東照宮の記録」から

講師:本会会長 藪田貫先生(兵庫県立歴史博物館館長、関西大学名誉教授)      

参加費:500円(資料コピー代共)

お問い合せ先: 内田正雄 (Tel 06-6877-2590)

(7月以降の予定: 8月はお休みで、9月から再開します)

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2016年6月20日 (月)

「大塩研究」目次・号名一覧(2017.9.7改定)

下記の号名をクリックしていただくと、各号の目次がご覧いただけます。

第77号(2017年8月)

第76号(2017年3月)

第75号(2016年9月)

第74号(2016年2月) 

第73号(2015年8月) 

第72号(2015年2月)

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「大塩研究」74号・目次 2016年2月

戦はずして人の兵を屈するは善の善なる者なり・・・・・・・・斎藤正和・・・1


大塩平八郎と藤沢東畡
http://www.cwo.zaq.ne.jp/oshio-revolt-m/ken15.jpg ~洗心洞と泊園書院~・・・・・・・・薮田 貫・・・3


『古本大学刮目』引用姓氏から見た

    大塩平八郎の学問的態度について・・・・・・・・・・森田康夫・・・21


坂本鉉之助俊貞の古郷・信州高遠の鉄砲隊・・・・・・・・・・沢田 平・・・40


大塩ゆかりの地を訪ねて(4)
 

 「八尾に西村履三郎の故地を訪ねる」・・・・・・・・・・・志村 清・・・45


向江強氏を偲んで・・・・・・・・・・・・薮田
 貴・久保在久・島田 耕 ・・・46


洗心洞通信(
62                                        ・・・58

編集後記                              ・・・65

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「大塩研究」73号・目次 2015年8月

あべのハルカスから時空を超えて・・・・・・・・・・・・・白井孝彦・・・1

 

大塩研究の書誌的考察・・・・・・・・・・・・・・・・・・森田康夫・・・3

 

『全釈拙堂文話』の発刊にあたって・・・・・・・・・・・・斎藤正和・・・48

大塩ゆかりの地を訪ねて(3)  

 「檄文を配った上田孝太郎の故地を訪ねる」・・・・・・・志村 清・・・53

 

大塩と私(19)「澤田平氏に聞く」・・・・・・・・・・・・・・・・・・54

 

会員便り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・67 

 

会計報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・69

 

洗心洞通信(61                                       ・・・70

 

編集後記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・83

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「大塩研究」72号・目次 2015年2月

大塩中斎の書幅・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・薮田 貫・・・1


大塩平八郎の乱-その主観的意図と歴史的意義-・・・・・・有光友學・・・2


大塩事件に対処した大坂城代土井利位と

   戊午の密勅降下に関わった同土屋寅直・・・・・・・・菅 良樹・・・30


大塩平八郎建議書の謎に迫る・・・・・・・・・・・・・・・井上 宏・・・69


大塩ゆかりの地を訪ねて(
2

  「宮脇志摩が宮司を務めた泉殿宮を訪ねる」・・・・・・内田正雄・・・80


田結庄千里のこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・久保在久・・・81


大塩家ゆかりの地、脇町で生まれて・・・・・・・・・・・・二木 実・・・83


長谷川先生との思い出・・・・・・・・・・・・・内田正雄・薮田 貫・・・87


会員便り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・89


洗心洞通信(60                                      ・・・・90


編集後記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・100

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「洗心洞通信」号名一覧(2017.9.10改定)

下記の号名をクリックしていただくと、記事に飛びます。ご覧ください。

第65号(大塩研究77号)2017年8月

第64号(大塩研究76号)2017年3月

第63号(大塩研究75号)2016年9月

第62号(大塩研究74号)2016年2月

第61号(大塩研究73号)2015年8月 

第60号(大塩研究72号)2015年2月

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