大塩事件研究会

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このブログは、大塩事件研究会の行事予定など、各種お知らせを主として掲載しています。Oosioheihatiroub

大塩の乱に関する諸資料は、当会会員の個人的ホームページ「大塩の乱資料館」に豊富に掲載されていますので、そちらをご覧ください。

同HPには本館(文献・論文・催しなど)、古文書館(画像と釈文)、別館(史跡など画像)がありますが、いずれも本館から入ることが出来ます。
本館のアドレスは:http://www.cwo.zaq.ne.jp/oshio-revolt-m/です。

(右の大塩平八郎像は、菊池容斎画 大阪城天守閣蔵です)


大塩平八郎の乱とは


 天保8年(1837)2月19日早朝、大坂東町奉行所の元与力で陽明学者でもあった大塩平八郎中斎(1793~1837)が飢饉の最中幕府の役人と大坂の豪商の癒着・不正を断罪し、摂津・河内・和泉・播磨(摂河泉播)地域の窮民救済を求め、幕政の刷新を期して決起した事件。奉行所の与力・同心やその子弟、近隣の豪農とそのもとに組織された農民ら約300人を率いて「救民」の旗をひるがえし、天満の自宅から大坂城をめざしたが、わずか半日で鎮圧された。乱による火災は「大塩焼け」といわれ、市中の5分の1を焼失した。
 当時配布された「檄文(げきぶん)」は大名から民衆まで密かに写され、また乱の情報は、大塩父子が暫く潜伏し手配されたため、全国に広く伝わり、幕藩体制に大きな衝撃を与えた。明治維新の30年前である。
 乱の参加者はほとんど捕らえられ、獄中で死亡した者が多かった。
 来年2017年は、乱から180年、大塩平八郎ほか関係者多くの没後180年にも当たる。(当研究会発行「大塩の乱のあとをたどる-マップでたどる大塩の乱」から一部修正)

大塩事件研究会のご案内
~大塩の乱を学んで、現代を考えよう~

 「大塩平八郎の乱」は多くの人々によって知られている有名な事件です。当時の幕政を揺り動かし、新しい歴史の流れをつくる契機となったことも大方の認めるところです。この事件をめぐっては、さまざまの記録や伝承があり、大塩は今なお民衆の中に生きつづけている感があります。テレビや新聞で度々取り上げられるのもそのためでしょう。

 この事件の研究については、すでに多くのすぐれた成果がありますが、まだ未開拓の点も多く、人に知られずに、埋もれている史実もかなりあると推測されます。この事件に、直接・間接にかかわった多くの人々に光をあて、当時の社会世相をふまえながら、事件の全貌を明らかにする必要があります。さらにそれが現代の私たちに持つ意味を考える必要を痛感しています。

 このような問題意識から、昭和50(1975)年、「大塩事件研究会」が結成されました。母体は、それ以前20数年にわたって、大塩家の菩提寺である成正寺を中心として、事件関係者の追悼・顕彰をつづけきた「大塩中斎先生顕彰会」です。これに対し本研究会は、上記意味から、追悼・顕彰にとどまらず、事実にもとづいた研究・調査や、その成果の市民への還元など、大阪の学問・伝統を生かした特色ある活動を期しています。現在、研究者・教育者をはじめ、関係者の子孫や、事件に批判的な人も含めて、関心をもたれる市民の方々の参加を得ていますが、さらに多数のご入会をひろくお願いする次第です。

研究会活動内容

①大塩平八郎の伝記、思想、行動の調査研究151128oosiokouenkai2_2
②大塩の直接の門人ならびにこの事件に関係した無告の民衆の実態調査
③幕末天保期の総合的研究
④大塩中斎忌を始めとする各種集会の開催
⑤『大塩研究』を始めとする出版活動   
⑥各種資料の発掘調査
⑦各種諸団体との連絡提携
⑧その他必要な事項151221oosioyomubukai_2

(右写真は上から、講演会、大塩の乱関係資料を読む部会、見学会)


年会費等


一般会員:3000円、賛助会員:10000円
講演会・大塩の乱関係資料を読む部会・見学会参加費は、毎回会員・非会員共 500円
会員には学術誌「大塩研究」(年2回発行)をお送りします(一般会員1部、賛助会員3部)。


会長  
藪田 貫(やぶた ゆたか)
     (兵庫県立歴史博物館館長、関西大学名誉教授)

事務局
150531oosiokengakukai_2
〒530-0053 大阪市北区末広町1-7 成正寺内 大塩事件研究会
Tel 06-6361-6212

(お問い合わせ先 Tel・Fax 06-6877-2590 内田正雄 )

ご入会申し込み用紙、会費振込先等については、別頁に記載しています。矢印をクリックしてください。

以後順次、本研究会の行事予定などを掲載していきます。このページ上・下のリンクバーまたはページ右側の「最近の記事」をクリックしてご覧ください。よろしくお願いします。

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2017年12月 1日 (金)

北河内各市(守口・門真・枚方)による大塩の乱180年関連行事の報告

大塩の乱に関係の深い北河内の各市では、大塩の乱180年を記念して、様々な行事が行われました。その一部を報告します。

1.守口市
歴史講座「大塩平八郎と守口」
11月14日(火)午後1時30分から、守口市中部エリアコミュニティーセンター(守口市役所地下1階)で開催されました。
講師は、大塩事件研究会会長の薮田貫先生、当日は雨にもかかわらず、定員一杯の40名の聴衆が詰めかけ、熱心に聴講していました。

講演内容としては、事件の概要、大塩平八郎の与力として、学者として、詩人としての人となり、檄文のこと、事件への参加者と処罰など、多岐に亘りましたが、特に、京街道筋の村々が、大塩と如何に縁の深い土地であったかを強調されていました。

天満~守口~尊延寺村を「大塩の道」と表現され、大塩が淀川近郊を散策し、詩作に耽ったこと、般若寺村の橋本忠兵衛、守口の白井孝右衛門、門真三番村の茨田郡士、尊延寺村の深尾才次郎宅などを、京街道を歩いて度々訪れたことなどを紹介されていました。講演の様子を写真でご覧ください。

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◆もりぐち歴史館「講談・大塩平八郎」
12月1日(金)午後1時30分から、講談「大塩平八郎」~守口市と関わりのある大塩平八郎のお話を講談で~ と銘打って、もりぐち歴史館で行われました。
演者はもちろん旭堂南海師です。

この歴史館は、旧中西家住宅。中西家は、近世初期に尾張徳川家と姻戚関係を持ったことなどから、後に尾張藩天満御屋敷奉行などをつとめた河内きっての名家の一つです。
この地に居を構えたのは、16世紀中頃とされ、棟札には、弘治元年(1555年)に主屋が創建され、元和2年(1616年)に再建、現在の建物は寛政5年(1793年)の再々建で、長屋門(大門)は安永5年(1776年)に再建されたと記されています。

大塩も講義をしたと伝えられる書斎も残される、由緒ある建物での講談は、さぞ面白かったでしょう。、筆者も出席の予定でしたが、風邪の発熱と咳のため、迷惑を掛けてはいけないと辞退しました。残念です。下は講談のチラシです。
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2.門真市・枚方市
門真市の門真市立歴史資料館、枚方市の市立枚方宿鍵屋資料館、淀川資料館の3館が共同企画で、「北河内・淀川ゆかりの人物伝」の展示が、10月11日(水)~12月3日(日)に行われました。その中で、門真の展示が大塩の乱関連でした。

◆門真市立歴史資料館「大塩平八郎と門人たち」
大塩の乱に参加し、処罰された門真三番村 茨田郡士を中心とした展示でしたが、守口市の守口文庫所蔵の大塩平八郎像や史料類も展示され、興味溢れる内容でした。
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講座「大塩平八郎と門人たち」
12月2日(土)14:00~15:30、秋の合同企画展「北河内・淀川ゆかりの人物伝」関連講座として、表記講演が行われました。場所は市立枚方宿鍵屋資料館別棟2階大広間。
講師は門真市立歴史資料館学芸員で、大塩事件研究会副会長の常松隆嗣氏です。

(文責 井上宏

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2017年11月29日 (水)

11月例会・フィ-ルドワ-ク「酒と織姫の町池田を歩く」の記録

11月例会はフィ-ルドワ-ク「酒と織姫の町池田を歩く」でした。

途中、池田市立歴史民俗資料館で開催中の特別展「『天若不愛酒』(てんもしさけをあいせざれは)-近代池田の酒づくり」を見学し、また、池田城跡公園ほかの「紅葉」も見頃で、楽しいフィールドワークとなりました。
案内人は歴史民俗資料館学芸員の宮元正博氏(当研究会会員)です。

1118日(土)1300、阪急電鉄宝塚線池田駅改札前に集合。午前中降り続いた雨も止み、ラッキーでした。

池田駅を出発し
→呉服神社→室町住宅→呉服座跡→吉田酒造主屋→呉春株式会社(外から)→小林一三記念館→池田城趾公園→塩増山大広寺→歴史民俗資料館→能勢街道→池田駅で、
1630頃に解散しました。

本ホームページ制作者は、体調不良のため欠席しましたので、会員の山崎弘義さん撮影の写真をご覧ください。写真の後に、宮元さん制作の資料を参考に付けておきます。

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左:呉服神社参道           右:呉服神社境内

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左:姫室(呉服神社内)        右:呉春株式会社

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左:呉春酒蔵(黒塀建物)

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左:城址公園入口で説明を聞く一行   右:池田城址公園

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左:大広寺山門            右:小林一三の墓

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左:池田茶臼山古墳前         右:池田市立歴史民俗資料館(入口)

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左:池田市立歴史民俗資料館内     右:星の宮

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法園寺山門

◆フィールドワーク「酒と織姫の町池田を歩く」資料:

                    池田市立歴史民俗資料館 宮元正博

下記をクリックしてファイルを開いてください。

「171118.docx」をダウンロード

(文責 井上宏

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平成29年12月「大塩の乱関係資料を読む部会」の予定

平成29年12月例会は下記のように開催します。ご出席ください。

読む部会
日時:12月18日(月) 午後5時30分~6時50分
終了後忘年懇親会   午後7時00分~9時頃

 今回だけ、時間が変わります。ご注意ください。

◆読む会
場所:大阪市立北区市民センター 第2会議室
    北区扇町2-1-27 (Tel 06-6315-1500)

テキスト:「難波美家解(なにわみやげ)」 (古文書) 35-6左頁後ろから5行目「一 二月十七日山城守江密に訴に及び・・・ 」から(以前配ったものから、頁番号の振り方が変わりましたのでご注意ください)。
      
      「大阪市史史料 近世Ⅱ」(活字)  613ページ下段後ろから4行目「5.乱後の諸家蔵屋敷の動向隠居 ・・・・・・」から。

講師:本会会長 藪田貫先生(兵庫県立歴史博物館館長、関西大学名誉教授)      

参加費:500円(資料コピー代共)

◆忘年懇親会
場所:和食鍋処「すし半 天神橋店」 Tel 06-6351-8080
               北区天神橋4-6-23 (天神橋4丁目商店街)
会費:男性3000円、女性2500円
イベント:豪華景品の当たる大抽選会

お問い合せ先: 内田正雄 (Tel 06-6877-2590)

(来年度は、1月22日(月)、2月26日(月)、3月26日(月)です。時間は午後6時から、第2会議室です)。

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2017年11月 6日 (月)

研究会本会・11月例会はフィ-ルドワ-クとして「酒と織姫の町池田を歩く」です。

(盛会裡に終了しました。有難うございました。次回案内は詳細決定次第掲載します。今回行事の記録写真を、別ページに掲載しています。ご覧ください)

 11月例会はフィ-ルドワ-クとして「酒と織姫の町池田を歩く」を企画しています。

途中「天若不愛酒」(てんもしさけをあいせざれは)-近代池田の酒づくり-特別展を開催中の池田市立歴史民俗資料館の見学もあります。

また、池田城跡公園ほかの「紅葉」も見頃だと思いますので、皆さまお誘い合わせの上、是非ご参加ください。


    
 


1.日時 1118日(土) 小雨決行

2.集合 1300 阪急電鉄宝塚線 池田駅改札前

. 案内人 宮元正博氏(歴史民俗資料館学芸員)

4.主なコ-ス

  池田駅→呉服神社→室町住宅→呉服座跡→吉田酒造主屋→呉春株式会社(外から)―小林一三記念館―池田城趾公園-塩増山大広寺-歴史民俗資料館-能勢街道-池田駅(1630頃 解散))

5.参加費  500円(資料代・保険料を含む)

6.お問い合わせ先  内田正雄(06-6877-2590)
           当日は携帯へ 090-5138-8421

ご参加をお待ちしています。

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平成29年11月「大塩の乱関係資料を読む部会」の予定

平成29年11月例会は下記のように開催します。ご出席ください。

日時:11月21日(火) 午後6時00分~8時00分 今回だけ、曜日が変わります。ご注意ください。

場所:大阪市立北区市民センター 第2会議室
    北区扇町2-1-27 (Tel 06-6315-1500)

テキスト:「難波美家解(なにわみやげ)」 (古文書) 35-4右頁8行目「一 ご城代ゟ関東江御届四月二日発・・・ 」から(以前配ったものから、頁番号の振り方が変わりましたのでご注意ください)。
      
      「大阪市史史料 近世Ⅱ」(活字)  611ページ下段後ろから3行目「隠居 瀬田藤四郎・・・・・・」から。(前回読めませんでしたので、同じ所からです)。

講師:本会会長 藪田貫先生(兵庫県立歴史博物館館長、関西大学名誉教授)      

参加費:500円(資料コピー代共)

お問い合せ先: 内田正雄 (Tel 06-6877-2590)

(12月は18日(月)、終了後忘年会を開催しますので、読む会の開始時間が30分早くなり、午後5時30分からです)。

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2017年11月 2日 (木)

講演会「再考 大塩平八郎ー大塩の乱180年によせて-」が開催されました。

10月29日(日)、午後1時30分から午後4時、大阪市立中央図書館5階大会議室で、
講演会
「再考 大塩平八郎ー大塩の乱180年によせて-」が開催されました。
大塩事件研究会・大阪春秋・大阪市立中央図書館の共催です。

サブタイトルは、
-大塩平八郎とは何者なのか? 大塩の乱とは何だったのか? 大塩の乱180年の節目に、歴史・文学の専門家とともに考えます-

講演とパネルディスカッションの2部構成
第Ⅰ部
①講師 薮田貫氏(大塩事件研究会会長・兵庫県立歴史博物館館長)による「大塩事件とは何か」
②講師 福島理子氏(帝塚山学院大学教授)による「大坂をうたう大塩平八郎-『洗心洞詩文』から-」
③講師 岩城卓二氏(京都大学教授)による「大塩の乱と能勢騒動で武功をあげた武士-水野正太夫の人生-」
第Ⅱ部
上記3氏によるパネルディスカッション「大塩の乱とは何だったのか」

3階で関連展示もありました。

当日は雨天、夕刻に大型台風が近畿に最接近の予報で、前日から図書館に開催についての電話が沢山寄せられたそうです。
それでも、180名と大勢の聴衆が詰めかけ、熱心に講師の話に耳を傾けました。
その様子を写真と本稿執筆者の感想を交えて報告します。

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左:3階展示(許可をいただいて撮影)           右:立派な5階会場。聴衆で埋まるか心配しました

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左:定刻前には、180名の聴衆にカメラも入り、良い雰囲気です 右:定刻、図書館の司会者が開会宣言

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左:薮田会長「大塩事件とは何か」              右:福島理子先生「大坂をうたう大塩平八郎」

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左:岩城卓二先生「大塩の乱と能勢騒動で武功をあげた武士」 右:パネルディスカッション「大塩の乱とは何だったのか」

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左:「大塩には未だに謎が多い」と薮田先生         右:「大塩の漢詩には人間性が出ています」と福島先生


【本稿筆者の印象に残ったこと-メモ】
1.薮田先生のお話から:本日講演の概略
○大塩については同時代の武士・文人・世間から様々の証言がある。それから、彼の有能な役人として、大学者として、厳格な教育者として、また民衆救済のために立ち上がった幕府への反逆者として、様々な人間像が浮かび上がって来ている。
 しかし、事件から180年。大塩の研究がされ始めた明治・大正からも100年以上経ち、子孫が続々名乗りを上げ、事件前日に江戸に送った建議書の内容が明らかになり、大塩の数々の書簡の研究も現れた。過去とは異なった様々な視点からの分析がなされつつある。その中から本日は特に、大塩を巡る文と武の問題に焦点を当てて、三人で話をしたいとのこと。
○薮田先生からは、まず、学者(文)と政治(武)の関係。福島先生からは、今まで取り上げて来られなかった詩人・文人としての大塩。岩城先生からは、武人政権でありながら、武功とは無縁であった武士に突如武功のチャンスをもたらした大塩事件-という三つの観点からお話しいただくと、講演の方向性が示された。

2.薮田先生「大塩事件とは何か」
○当時の大坂は江戸の人間から見ると田舎。大坂は銭の世界。役人も銭にまみれた田舎武士。江戸から来た役人にとっては、金をつくる手段としての町。その中で、唯一金に汚れない大塩。
○与力は下級武士であるが、大塩は武士としての誇りを持ち、戦いの先頭に立った。
○中国・韓国は科挙で選ばれた文人政治。対して日本は武人政治の国。大塩は与力であるが、学者であり、武士であった。政治への関心が高く、絶えず政治批判をしていた。
○大坂で、賄賂や不正無尽で金を作り、中央で要職に就く権力者たち。大塩は地方から狼煙を上げることにより、中央政権の覚醒を図り、政治の力で地方の窮状を救おうとした。学問の力と武士の政治力で世を変えたいと動いた。それが乱であり、建議書である。
○大塩父子と有力門人の思いに断絶があったかも知れない。門人の思いを研究する必要がある。

3.福島先生「大坂をうたう大塩平八郎-『洗心洞詩文』から」
○今日は雨であるが、大塩には雨を詠った詩も多い。大塩なら政治を詠った詩が多いだろうという先入観があるが、そうではない。
○荻生徂徠は中国を詠んだもの、頼山陽は目前の情景を詠んだものが多い。大塩は朝早く大坂郊外を歩いていて詠んだ詩が多い。
○大塩の詩には、詩人らしい一面が窺える。同時代の篠崎小竹や岡田半江らと共有していた美意識がそこにはある。また、ユーモアのあるもの、人情味溢れる詩も多い。
○大塩に対し世間が抱いている先入観とは違った世界が大塩の詩の中にはある。

4.岩城先生「大塩の乱と能勢騒動で武功をあげた武士-水野正太夫の人生-」
○水野正太夫-出自は百姓・町人である非正規雇用の武士(渡り武士)。武功を上げ、正規雇用となり、息子に家督を相続することが出来た、稀有な存在。
○渡り武士は、役付の期間だけ家臣を増やさなければならない旗本の、雇用の調整弁。旗本集団全体の共同財産的存在。行政手腕で旗本から旗本へと渡り歩くが、生活は不安定。失職の危険が絶えず付きまとっていた。江戸時代は武士の社会であり、行政手腕で出世するチャンスはない。
○大塩の乱は、島原の乱以来200年、初めて公儀御威光が試された瞬間。水野はそのチャンスを捉えることが出来た。

5.パネルディスカッション(大塩を巡る文と武)
福島先生:
○中国・朝鮮は文人政治。学問が出世につながる。日本はつながらない。日本の学者は身分が低い。コンサルタント的立場でしかない。そのため絶えず学問の意味を問いかけている。屈折している。
○その中で、大塩は学者である前に役人である。行動する儒者として、無用の学問から解放されている珍しい存在。

岩城先生:
○水野は武功で出世したにも拘らず、それまでの生活からは武の姿は見えてこない。俳人・茶人の姿は見えるのに、武の姿は見えず、どこで身に着けたのか不明である。
 本人としては、普段の勤め方もあっての出世と思っているらしいが、文功を一瞬で乗り越える武功の姿がここにある。
○今一つの話題として、主題からは離れるが、建議書開封の問題を提起したい。盗んだ建議書を開封したのは、盗人の無宿清蔵となっている。しかし、他の文書が開封されていないのに、建議書だけが開封されているのは解せない。開封したのは、江川太郎左衛門ではないかと疑われる。

 まだまだ話は面白くなりそうでしたが、時間が来ましたので、薮田先生の「大塩事件は100年以上研究されていますが、まだ分からないことが沢山あります。今後の研究に待たれます」との言葉で、残念ながら終了となりました。

10月1日発行の、『大阪春秋』秋号・大塩の乱180年特集号には興味溢れる記事が満載です。ご高覧ください。

(文責 井上宏

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2017年10月11日 (水)

大塩の乱に関する講演会やテレビ放送が相次いでいます。

ご承知のように、10月29日、当会・大阪春秋・大阪市立中央図書館共催の「再考・大塩平八郎-大塩の乱180年によせて-」が開催されますが、各地でも大塩の乱に関する講演会・展示会が開催され、また、テレビ放送も予定されています。

◆9月24日(日)、隠岐島文化会館で「おきゼミ~大塩平八郎の乱180年と隠岐~」の表題で、薮田貫先生と旭堂南海師による対談と講談が行われました。
詳細は
http://www.zaidan-oki.jp/jigyou.k.okizemi.pdf 
をご覧ください。

◆10月11日~12月3日、門真市の歴史資料館でに「北河内・淀川ゆかりの人物伝ー大塩平八郎と門人たち」の展示がされています。
告知ページのアドレスは
http://www.city.kadoma.osaka.jp/event/201710_post-117.html
です。

◆11月14日(火)13:30~、守口市の生涯学習課が歴史講座「大塩平八郎と守口」を開催します。講師は薮田貫先生、場所は守口市役所地下1階・中部エリアコミュニティセンターです。
イベント告知ページのアドレスはhttp://www.city.moriguchi.osaka.jp/teiju/event/1507264464604.html#container
です。

◆テレビ放送
11月15日(水)午前9:45~9:55、NHK,Eテレ、「歴史にドキリ」で、「大塩平八郎~庶民の反乱」が放送されます。小学生向け10分間の番組ですが、一応乱の概要が掴めるよう編集されています。歌あり踊りあり、小学生が興味を持てそうな番組です。
NHKのホームページで動画を見ることが出来ます。下記アドレスをクリックしてご覧ください。
http://www.nhk.or.jp/syakai/dokiri/?das_id=D0005120242_00000

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2017年10月 3日 (火)

平成29年10月「大塩の乱関係資料を読む部会」の予定

平成29年10月例会は下記のように開催します。ご出席ください。

日時:10月23日(月) 午後6時00分~8時00分

場所:大阪市立北区市民センター 第1会議室(例月の第2会議室から、この月だけ変わります)。 
     北区扇町2-1-27 (Tel 06-6315-1500)

テキスト:「難波美家解(なにわみやげ)」 (古文書) 35-2右頁1行目「の裏通り志なの町之・・・ 」から(以前配ったものから、頁番号の振り方が変わりましたのでご注意ください)。
      
      「大阪市史史料 近世Ⅱ」(活字)  611ページ下段後ろから3行目「隠居 瀬田藤四郎・・・・・・」から。

講師:本会会長 藪田貫先生(兵庫県立歴史博物館館長、関西大学名誉教授)      

参加費:500円(資料コピー代共)

お問い合せ先: 内田正雄 (Tel 06-6877-2590)

(11月は21日(火)です。曜日がこの月だけ変わります。ご注意ください。12月は18日(月)、終了後忘年会を開催します)。

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2017年9月17日 (日)

10月29日(日)、「大塩の乱180年記念講演会」が開催されます。

(盛会裡に終了しました。有難うございました。次回案内は詳細決定次第掲載します)
10月29日(日)、午後1時30分から午後4時、「大塩の乱180年記念講演会」が開催されます。
大塩事件研究会・大阪春秋・大阪市立中央図書館の共催です。

場所は、大阪市立中央図書館5階大会議室、(大阪市西区北堀江4-3-2)、地下鉄西長堀駅下車7号出口すぐ。

「再考 大塩平八郎ー大塩の乱180年によせて-」
大塩平八郎とは何者なのか? 大塩の乱とは何だったのか? 大塩の乱180年の節目に、歴史・文学の専門家とともに考えます。

講師は、薮田貫氏(大塩事件研究会会長・兵庫県立歴史博物館館長)、福島理子氏(帝塚山学院大学教授)、岩城卓二氏(京都大学教授)の皆さんです。

関連展示もあります。

入場無料、定員300名です。

詳細は、下記掲載の縮小チラシをクリックしてご覧ください。

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大阪春秋・秋号で「大塩の乱180年特集号」が発売されます

大阪の歴史と文化を中心に編集する郷土季刊誌『大阪春秋』が、秋号として「大塩の乱180年特集号」を10月1日に発売します。

A4版120頁、定価 1000円+税です。
充実の内容です。ぜひ書店でお求めください。

下に、チラシ、表紙、扉、目次を縮小版で掲載します。それぞれの図をクリックしていただくと、拡大画面が出ますので、ご覧下さい。

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    チラシ                   表紙               扉

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    目次2                  目次1

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2017年9月10日 (日)

洗心洞通信65号(大塩研究第77号 2017年8月)

◇「大塩の乱 関係資料を読む部会」の報告

 平成二八年の「大塩の乱 関係資料を読む部会」は十二月十九日が最終日であった。出席者二六名で、学習会終了後は、年に一度の懇親会があり、藪田会長のサイン入り著書が当たる〟あみだくじ〝等で大いに盛り上がり親交を深めた。

 翌年一月の報告によると、年一一回開催、延べ出席者一八六名、一回平均一七名とのこと。

 また、十一回出席の皆勤賞は一ノ瀬雅子、内田正雄、北村静子、木村雅英、中村和子、名倉延子、福島孝夫さんの七名。 十回出席の精勤賞は井上宏、西村美紀子、藤原勝、宮元正博さんの四名であった。

「大塩の読む部会」は原則として、八月を除く第四月曜日十八時~二十時までの二時間、扇町の大阪市立北区民センター会議室で行われている。

現在は藪田貫会長のご指導の下、古文書『難波美家解』と活字書『大阪市史史料近世Ⅱ』を読んでいる。また、学習の成果として『難波美家解』の翻刻文を『大塩研究』に掲載しているのでご覧いただいていると思う。

 学習会では前記文書を参加者が数行ずつ読み、皆さんから読み方、歴史用語についての意見が述べられ、最終的に藪田会長から解説をいただいている。

 古文書は難しいと思われがちだが、歴史談義を交え楽しく学んでいるので、是非一度お立ち寄りいただきたい。内田正雄)

◇平成二九年一月例会―
酒井一先生七回忌法要ならびに論文集『日本の近世社会と大塩事件』献呈式

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 三五年の永きに亘って大塩事件研究会会長をつとめられた酒井一先生の遺稿集『日本の近世社会と大塩事件』が一月二二日付けで和泉書院から発刊された。そこで同日、先生の七回忌法要と同書の献呈式が菩提寺成正寺で行われた。

式後の会食で参加者全員が先生の思い出を語った

集まった方たちは、先生令夫人ならびにご親族、遺品整理を担当された教え子・ご友人・論文集解題執筆者・出版社・大塩事件研究会役員の皆さん。

酒井妙子、内藤緑、有光友昭、加藤寛彦、岸本隆己、松尾寿、谷山正道、本城正徳、松永友和、廣橋研三、薮本祐子、薮田貫、内田正雄、柴田晏男、島田耕、志村清、土井裕子、政埜隆雄、松井勇、松浦木遊、宮元正博、井上宏 計二二名(井上宏)


◆遺稿集『日本の近世社会と大塩事件』について
P1090936b_2 大塩事件研究会では、先生の多数の論文が、ご急逝により、発表当時のまま放置されている状況を憂い、ご業績が次世代にも継承されることを願って、遺稿集を発行することを企画した。

 本書では、主要な論文二一篇を、Ⅰ近世の領主支配と村々、Ⅱ大塩事件、Ⅲ幕末の社会と民衆、Ⅳ地域史と民衆文化 に分類して収録した。

 冒頭には、先生みずからが半世紀の研究の軌跡を語られたインタビュー記事を掲げ、末尾には年譜と著作目録を付している。

Ⅰには本城正徳、Ⅱには松永友和、Ⅲには谷山正道、Ⅳには藪田貫の各氏による解題が付され、先生の業績の近世史研究における位置づけが試みられている。

本書の内容・目次等の詳細は和泉書院のホームページに掲載されている。ご覧いただきたい。(井上宏)



◇三月例会―一八一回忌大塩父子及び関係殉難者怨親平等慰霊法要及び記念講演会

三月二六日(日)午後一時三十分から、成正寺で、一八一回忌大塩父子及び関係殉難者怨親平等慰霊法要が行われ、記念行事として、天理大学教授 谷山正道先生による講演が行われた。また、講演後、研究会の総会が開催された。


法要

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 一八一回忌だが、事件後一八〇周年の記念すべき法要である。往事を偲びながらの厳かな法要だった。記録映画の撮影や新聞社・雑誌社の取材も入っていた。


講演:谷山正道教授「日本の近世社会と民衆運動
―大塩平八郎の乱を視野に入れながら―」

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 豊富な資料を駆使しながらのご講演は分かりやすく、興味深いものだった。
講演内容については、谷山先生が『大塩研究』にご執筆いただくことになっているので、それをご覧いただきたい。ここでは、ご講演の意図と、本稿筆者の感想を二・三述べるにとどめる。

◆ご講演の意図(レジュメ「はじめに」から)
○江戸時代は、「徳川の平和」と呼ばれる、世界史上でも稀な平和な時代であり、兵農分離制(身分制)・石高制(村請制)・鎖国制を国家の基本的枠組みとしていた。そうした体制のもとで、民衆は、生産や生活を守るために、地域に根ざしてどのような運動を展開したのか、それはどのような特質を有し、近世後期にはどのような変化を示すようになったのか。

○本講演では、合法的訴願と百姓一揆の双方に光をあて、日本近世における民衆運動の特質と展開のあり方について、大塩平八郎の乱も視野に入れ論じられた。


◆講演を聞いて印象深かったこと(本稿筆者)

1.〈訴の時代〉としての日本近世、2.近世における合法的訴願の展開では、
○一般的に百姓一揆が注目されるが、現在知られているそれは三千余件に過ぎない。ほとんどが合法的訴願であるとのこと。
 要求を述べる際、自分たちのことを「御百姓」と述べている。これは「我々百姓が貴方たち武士を土台で支えているのだぞ」ということを表現している。訴願は数量的・合理的で、道理に貫かれている。また、文章表現力と論理構成力に優れている。
 お上の言葉を逆に利用する図太さを備えている。例えば、「胡麻の油と百姓は絞れば絞るほど出るものなり」の言葉で有名な勘定奉行 神尾春央の「有毛五分五分の条」(五公五民)を盾にとって、それ以上の年貢増徴を防ぐなどしている。

○国訴など、問題レベルに応じた広域化を図っている。そのため、村役人層による地域集会を開催し、議定書を制定するなどしている。また、頼み証文(委任状)などは、代議制の前駆的形態とも取れる。

○百姓側からお上に、法文や政策内容を提示して「国触」(くにぶれ)を要求するなど、地域運営主体・政策主体としての成長が見られる。

○明治になって自由民権運動が盛んになるが、近世における民衆運動の、このような成長が基盤となっている。

3.百姓一揆と幕藩領主、おわりにでは、
○百姓一揆も中期までは「作法」があり、規律ある行動をとり、盗みや放火は自制していた。一揆勢が得物として携えたのは農具であり、武器は封印していた。領主側も鎮圧に際して、飛び道具は不使用としていた。
 非合法な訴えの首謀者は厳罰に処することが公事方御定書に記されているが、これも但し書きがあり、事情によっては柔軟に対応していた。百姓を「国の宝」として扱った。

○ところが、明和頃から次第に硬直的な処分となった。民の方も文政頃から一揆に竹槍を使用するなど暴力化するようになり、鎮圧側も武力行使をするようになった。階層分化が進行し、民衆の窮迫度が増し、領主に対する恩頼感が低下し、直接行動によって「世直し」を実現しようとする動きが出だした。

○天保期、凶作による米穀の欠乏と高騰による民衆の窮乏が激しくなったのは、再生産構造の変化が影響している。脱農化が進展し、「買喰層」が多くなることで、米価高騰が一層打撃となった。このような状態に、大坂では跡部山城守の悪政が拍車をかけ、大塩平八郎の乱につながった。島原の乱後二〇〇年、弓鉄砲を用いた大塩の挙兵は明治維新の先駆けとなった。

○上記のように、一般的な認識と異なり、訴願に対する幕府政治の対応は柔軟で、民の側も訴願を通じて自治力の向上があった。しかし、中期以降、階層分化の進行、底辺民衆の窮乏化が増すことにより、訴願も暴力化することが多くなり、大塩の乱につながった。階層分化の激化が如何に危険かに、現代の為政者も心すべきだろう。

以上が先生の講義に対する筆者の断片的な感想だが、受講者さまざまの受け取り方があると思われる。講義の全貌については『大塩研究 第78号』(平成三十年三月刊行予定)で先生の玉稿をご覧いただきたい。

 当日の参加者は、有光友昭、井上宏、上島朱實、内田正雄、大峯伸之、紙谷豊、木村雅英、酒井妙子、柴田晏男、志村清、島田耕、清水玉子、谷山正道、亭島吉秀、土井裕子、中井陽一、長山公一、名倉延子、西口忠、林耕一、福島孝夫、藤田恵玄、政埜隆雄、松井英光、松井勇、松尾茂、松永友和、宮元正博、安田信之、柳内良一、薮田貫、藪本祐子、山崎弘義、計三三名   (井上宏)


◇講談「大塩平八郎事件異聞 西村常太郎物語」鑑賞の報告

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 旭堂南海さん作の講談「大塩平八郎事件異聞 西村常太郎物語」が三月二四日、十八時三十分から、大阪千日前のトリイホールで上演された。

 同ホールは、法善寺横丁のすぐ傍、六十席程、落語・講談など演芸主体のホールらしい。硬い感じの演題なのに満席のお客さんで、南海師匠の人気が窺える。 南海師匠によると、この講談は、飯嶋和一著『狗賓童子の島』を、作者の許しを得て、師匠が講談化したもの。原作は司馬遼太郎賞を受賞したが、師匠は司馬より飯島和一のファンであるとのこと。
 原作は一二〇〇枚の大作で、大塩平八郎の乱に関係して隠岐島に流された少年・西村常太郎を主人公として、幕末から明治初期にかけての同島の激動の時代を描いた歴史小説。講談ではとても演じきれないので、導入部の一〇〇枚ばかりを講談化された。講談を聞いて、興味を持ってもらい、ぜひ原作を読んで欲しいとの意図。常太郎少年は罪人の子としての扱いを覚悟していたが、むしろ民衆のために立ち上がった偉人の子として遇されるのに驚く。少年はその年の「狗賓童子」に選ばれる。十人に一人しか生還できない過酷な大役のさまが迫力満点に語られる。そして、狗賓童子となった少年が医者としての教育を受け、島民と共に動乱を生き、島の危機を救うことが予告されて講談は終わる。話の全貌をぜひ知りたいと思わせる熱演だった。

 講談の後、「大塩事件の今を語る」というテーマで、大塩事件研究会会長・薮田貫先生と南海師匠による座談会があった。薮田先生の話で興味深かったことがある。
 大塩の乱によって島流しにあった子供は十四人にも上る。一人ひとりに興味深い物語があった筈である。その中で何故常太郎の物語が語られることになったのか。彼らのほとんどが流された土地に留まったのに対し、常太郎が明治二年大阪に帰り、医者となったことが大きい。明治十三・四年頃、毎日新聞の宇田川文海が常太郎から話を聞いた。それが左殿家文書の中に納められていた。
 左殿家文書は、本会会員森田康夫先生が長年調査・研究され著書に納められている。その著書が大塩をテーマに執筆を企画していた飯嶋和一氏の目に触れ、『狗賓童子の島』として結実した。

 ネットに、飯嶋和一氏の執筆動機を掲載している頁がある。(全国書店ネットワークe-hon、著者との60分)
http://www1.e-hon.ne.jp/content/sp_0031_i1_201503.html
 
 この中で、同氏は、森田先生の著書を読み、この視点でなら大塩平八郎の乱を書けると思ったと述べている。物語は常太郎主役だが、執筆の動機は大塩平八郎の乱であるとはっきり言っている。

 また、『大塩研究』 に森田康夫先生の西村常太郎・謙三郎兄弟に関する研究論文が掲載されている。
第十三号の「大塩の乱と隠岐騒動―弓削村七右衛門の子常太郎のこと―」、第二四号の「弓削村七右衛門の子・常太郎の隠岐体験―大塩の乱と隠岐騒動を結ぶもの―」がそれである。
 さらに先生は現地調査を重ねられ、その結果を踏まえて、一九九二年三月、成正寺で講演されている。「隠岐・五島に生きて―河内弓削村西村履三郎の子常太郎・謙三郎―」で、その概要は『大塩研究 第三二号』の「洗心洞通信二六」に掲載されている。(ホームページ「大塩の乱 資料館」参照) 

 もう一つ、薮田先生の指摘は、この講談は常太郎の母由美について触れていない。由美が非常に偉かったからこそ、あの常太郎があったということを言って欲しかったとのこと。
南海師匠は、「先に言ってくださいよ。入れたのに」と悔しがっていた。次に語られる時には入っているかも知れない。乞うご期待である。(井上宏)


◇五月例会記録「大塩の乱 一八〇年記念映画会」
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平成二九年五月十三日(土)、午後二時から、大坂グリーン会館二階大ホールで、「大塩の乱 一八〇年記念映画会」が開催された。

上映作品は二本
 新東宝作品『風雲天満動乱』 第二部 嵐寛寿郎主演(一九五七年)
 記録映画『大塩平八郎と民衆』 島田耕監督 文部大臣賞受賞(一九九三年)
 当日の大阪地方天気予報は雨のち曇り。予報通り朝から雨だったが、幸い午後には上がり、約七十名の参加で盛況だった。

 研究会薮田会長の挨拶の後、二本の映画が上映されたが、合間には記録映画の島田監督から、若干の解説があった。

 会長からは、「新東宝映画は史実とかなり異なる娯楽作品である。決起した人たちは、自分たちのみでなく、家族にも累が及ぶことを覚悟して民衆のために行動を起こした。『無私』の行動である点を見て欲しい」との話があった。

島田監督からは、「記録映画は史実と、それが歴史に持つ意味を追及している。そのため家族の流刑地にまで、ロケを敢行した。どの地でも、犯罪人の子としてではなく、民衆のために立ち上がった人の子、学があり、将来島のために役立つべき子として大切に扱った。このことは乱が民衆にどのように受け取られたかを示している。
 また、この映画会に当たって、事務局に、政権に刃向った大塩の乱の映画で文部大臣賞を受賞するとは何事かとクレームがあったらしい。コンクール用に作った映画ではなく、完成後勧められて応募した。審査にあたったのは政権内部の人ではなく、教育映画の専門家たちなので、評価されたのは意義のあることと思う」との話があった。

参加者からは、「嵐寛の映画は懐かしかったし、それなりに面白かった。記録映画は、教科書にはない知識を得ることができた」「大塩マップを購入しました。自分の住んでいる所の歴史を知りたくなりました」「中・高の教員をやっています。学生相手にお話を聞かせていただきたい」等の感想があった。また、「今の官僚・政治家に無私の人は皆無だろうね」との声も聞いた。

乱一八〇年のイベントとして、成功だったようだ。

当日の参加者は会員十八名―伊藤誠一、井上宏、内田正雄、木村雅英、澤田平、柴田晏男、志村清、島田耕、白井孝彦、末 廣訂、亭島吉秀、中井陽一、名倉延子、西山淸雄、福島孝夫、松尾寿、薮田貫、山崎弘義、

一般四八名、計六六名(井上宏)


「まんが 大塩平八郎

()くもん出版発行、著者・ムロタニ・ツネ象の、時代を動かした人びと『日本の歴史人物伝』という子ども向け漫画本に、大塩平八郎が取り上げられている。

なにげなく書店で手に取り驚いたのは、一九九九年発行で四一四頁にわたる児童書としての大作が、今日まで第四二刷発行され読まれ続いていることだ。

 大塩平八郎は二章―新しい道をきりひらいた人びと―に七頁に渡って掲載されている。内容は丁寧に史実に沿って書かれており、子どもの時から、大塩平八郎を正しく理解してくれるものと思われる。(内田正雄)


◇大橋幸泰著『近世潜伏宗教論』―キリシタンと隠し念仏― 校倉書房 (歴史科学叢書)

同著を著者で本会会員の大橋幸泰氏から贈呈されたので、紹介する。

江戸時代の切支丹をはじめ異宗と思われていた、宗教活動に信仰・邪正・幕府藩の対応と広い範囲で考察する。この中で、大塩平八郎が与力時代の三大功績の一つとされている「キリシタン逮捕一件」については「文政期京坂キリシタン考」と題し詳しく論考している。(内田正雄)


◇田能村竹田―吹田・なにわを愛した文人画家―展

 大塩平八郎と親交があり、養子(弟子)直入を洗心洞で学ばせた田能村竹田展が、吹田市立博物館二五周年記念 春季特別展として四月二九日~六月四日まで開催された。

 竹田は豊後国岡藩医の家に生まれたが、文芸や書画に秀で諸国を旅し大坂では木村兼葭堂、頼山陽とも出会う。 

 天保六年(一八三五)療養のため吹田に来た竹田が描いた「吹田養痾図」が今展示のため、竹田市立歴史資料館から里帰りして目玉の一つとなる。

 展示作品には大塩自詠の七言絶句詩を揮毫した、力強く雄大な紙本墨書一幅(署名 洗心洞連齊)もある。

(内田正雄)


◇会員の動静 

◆当会元副会長 故 井形正寿さんがNHKテレビ「探検バクモン」に登場

 当会副会長として永年功績があり、二〇一二年に亡くなった故 井形正寿さんがNHKテレビ「探検バクモン」のお札特集で取り上げられた。ただし、井形さんは福島区の歴史研究会事務局長も永く務めておられ、その仕事に関係した取材内容だった。
 放映日は十二月二八日(近畿では三〇日)。この回のテーマは「お札」。お札は新札となる度に、若い番号が縁の公的機関に交付されるそうだ。一万円札の顔が聖徳太子から現在の「福澤諭吉」に替わったのがD号券の一九八四年。さらにそれが偽造防止技術を施した、現在のE号券に替わったのが二〇〇四年である。
 そのE号券の印刷七枚目A000007Aが、井形さんが事務局長を務められていた福島区歴史研究会に交付され、井形さんが交付式で受け取られた。(06Aは大阪市)。
 若い番号が民間に交付されるのはレアケースなので、当時多くのマスコミが取材に来たそうだ。今回の探検バクモン「お札特集」でも、その経緯に番組ディレクターが注目した。
 交付理由の大略は、一万円札表紙が福澤諭吉となった一九八四年当時、諭吉が中津藩大坂蔵屋敷(現福島区福島一丁目)で生まれ、大坂の適塾で学問に励んだことを顕彰するものがほとんどなかった。そのため、福島区歴史研究会が猛運動をし、福島図書館に「福澤諭吉記念室」が創られた。(福島区歴史研究会ホームページに詳細掲載)。

 番組中の該当部分は数分だったが、交付式や中津藩跡(福島区)の福沢諭吉誕生碑前での井形さんの写真等が放映された。(N.M.)


◆森田康夫著『評伝/ことば 大塩平八郎』
本会会員である森田康夫先生が、近く和泉書院より出版する。発行日・価格は未決定。
 本書は、同氏が永年続けてきた大塩研究を集大成したもの。平八郎の「生い立ち」「大坂町奉行所」「呻吟語との出会い」と書き進め、「大塩の言葉」についても記述。

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大塩ゆかりの地を訪ねて⑦「茨田郡士と大塩平八郎」

B 京阪電車西三荘駅から北へ10分ほど歩いたところに茨田公園(茨田邸跡)があります。
茨田家とはこの地で14代続いた旧家で、江戸時代には門真三番村の村役人を務める豪農でした。なかでも11代当主郡士は大塩平八郎の門弟となり、いまから180年前に起こった大塩の乱に参加しました。

 大塩と郡士との出会いは文政13年( 天保元年、1830)、守口の白井孝右衛門の紹介によって洗心洞に入塾したことに始まります。入塾後は大塩の信任も厚く、主要な門人の一人となりました。洗心洞の入学盟誓書には「冠婚葬祭に際しては必ず某(それがし…大塩のこと)に報告すること」との一文があり、大塩と門弟とが固い絆で結ばれていたことがわかりますが、郡士も自らの結婚や父の死去に際して大塩に報告し、大塩や洗心洞塾中からはそのたびに祝儀や不祝儀が届けられました。

 大塩の挙兵に際しては行動を共にしましたが、乱後は「このまま逃げ続けることは不可能だ」と考え、大坂城代土井利位の平野郷陣屋へ自首しました(当時、門真三番村は大坂城代の役知でした)。郡士の身柄は平野郷陣屋から大坂町奉行所へと送られ、厳しい取り調べがおこなわれました。この年は寒さが厳しかったようで、村からは郡士に布団と綿入れが差し入れられましたが、そうした厚情もむなしく、郡士は牢のなかで亡くなります。

 乱に関係した者への裁決は翌年8月に言い渡され、すでに亡くなっていた郡士はもとより、妻のぶは押込30日、茨田家は財産没収の処分を受けたのでした。
 厳しい処罰を受けた茨田家でしたが、郡士の甥である和久田徳五郎が家督を継ぎ、乱から10年を経た弘化4年(1847)、親戚にあたる北河内の豪農や村の庄屋などの尽力によって茨田家は再興されました。

B_2 現在では、写真に見るように茨田家があったことを示す石碑と、段蔵の石垣がわずかに残るのみですが、大塩と郡士の足跡を訪ねることができる、貴重な場所となっています。

(常松隆嗣・本会会員)

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2017年9月 7日 (木)

「大塩研究」77号・目次 2017年8月

この言葉(32) … ………………………………………………………藪田 貫 … 1

酒井一著『日本の近世社会と大塩事件』(和泉書院)によせて………深谷克己… 3

【講演録】二宮尊徳の仕法と思想… …………………………………早田旅人… 13

思想方法から見た大塩平八郎とルソー(下)…………………………森田康夫…34

乱180年 大塩関連映画上映会…………………………………………島田 耕…47

資料翻刻「難波美家解」(3)…………… ………大塩の乱関係資料を読む部会…50

大塩ゆかりの地を訪ねて(7)
  「茨田郡士と大塩平八郎」…
………………………………………常松隆嗣… 69

洗心洞通信(65)   ………………………………………………………………… 70

編集後記… ………………………………………………………………………… 80

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2017年8月 6日 (日)

研究会7月例会・講演会「幕末期の社会変容と慶応二年大坂打ちこわし」記録

研究会7月例会は、7月22日(土) 午後1時30分から、成正寺で行われました。

講師は、天理大学図書館 澤井廣次先生
天理大学・神戸大学大学院を卒業された、新進気鋭の研究者です。研究会の会員でもあります。
講師紹介で、薮田会長は、このような若い研究者が我々に続いてくれることは非常に頼もしいと述べられました。

演題は、「幕末期の社会変容と慶応二年大坂打ちこわし」です。

酒井前会長が始められた研究の、新しい展開を語っていただきました。
豊富な資料を駆使した、分かりやすく、興味深い講演でした。

講演の構成と、筆者に印象深かったことを断片的に記しておきます。
詳しく知りたい方は、いずれ先生に『大塩研究』にご執筆いただくことになっていますので、それをご覧下さい。

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講演の構成
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はじめに、

第1章 軍事拠点化に伴う大阪の社会変容
1.前史として~近世都市大坂の様相、2.長州征伐に伴う経済効果と負担、3.「浪士」の流入と対策

第2章 慶応2年(1866)大坂打ちこわし
1.打ちこわしの背景、2.発生・展開・終焉、3.他の打ちこわしとの相違点、

第3章 幕末期大阪の社会変容と打ちこわし
1.展開の特徴と幕末期大坂の社会構造、

おわりに

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筆者の感想
打ちこわしの主役、起こったきっかけ、今回打ちこわしの特徴、打ちこわし後の幕府の施策、それぞれが興味深い。
○主役-「長町」の無宿者。
江戸時代、大坂三郷の域外で、近郊農村であった難波村に隣接して、無宿者唯一の居住地として「長町」が幕府により設置され、株仲間による口入と統制が行われたとのこと。今の釜ヶ崎のようなものか?幕末には統制が弛緩し、無宿者が市中に増加し散在した。今の非正規労働者の増加に似ていないか?

○きっかけ-30万にも及ぶ長州征伐の幕府軍が大坂に来た。それに伴い、人足もどんどん増える。当然物資は不足し、米価は高騰し、困窮者は増える。おまけに浪士が暗躍する時代、社会の混乱に拍車をかける。
 筆者は、史実としての長州征伐は知っていたが、その征伐軍が滞在地にどんな影響を与えていたかまで考えが及ばなかった。なるほど。

○特徴-打ちこわしには、「打ちこわし」「押買」「合力」の三つがあると言う。
打ちこわし:破壊を伴う暴力的なもの。しかし、これも見せしめ的な性格が強い。
押買:購入者の設定した価格で買い取りを強制すること。
合力:豪商に金・銀・米などを恵んでもらうこと。
 筆者は後の二つも打ちこわしというとは知らなかった。

今回の打ちこわしは、今までの打ちこわしとは様子が異なっている。今までの打ちこわしは、地域コミュニティーによる「申合」で発生した。したがって、発生から展開までタイムラグがあった。ところが今回は予兆もなく発生すると、誰彼と無く「申触」し、わっと展開し、軍隊が出ると、たった8時間でさっと終わってしまった。
しかも、暴力的な打ちこわしはあまり無く、押買が横行した。地域的なコミュニティーとの関係が希薄で、人足層とよそ者の参加が多かった。

筆者はこれを聞いて、翌年発生した「えぇじゃないか」と実に似ていると思った。
陽と陰の違いはあるが、民衆の世直し気分横行がこういう形で現れたのではないかと思ったが、どうだろうか。

○事件後施策-幕府は事件後、3万人規模の施粥を行った。また、困窮者を収容する御救小屋を作った。これは明治期の大貧院へとつながっていく。しかし、このような施策もむなしく、もはや、世直しへの流れは押し止められなかった。

今回の講演は、筆者の知らなかったことも多く、目を開かせられた感がある。
前回の谷山先生の講演と合わせると一層理解できるとも思った。
社会の階層分化が激化するとどういうことになるか。現在の日本の状況に照らして考えさせられる。

ところで、この日、お寺の玄関先には美しい蓮の花と、何という名か、可愛い花が咲き、それこそ、講演に花を添えていました。


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次回予定は、詳細決定次第掲載します。

(文責 井上宏

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2017年8月 5日 (土)

大塩の乱関係資料を読む部会、8月はお休み、次回は9月です

平成29年9月例会は下記のように開催します。ご出席ください。

日時:9月25日(月) 午後6時00分~8時00分

場所:大阪市立北区市民センター 第2会議室 
     北区扇町2-1-27 (Tel 06-6315-1500)

テキスト:「難波美家解(なにわみやげ)」 (古文書) 35枚目右頁4行目「大坂より行程八里・・・ 」から
      
      「大阪市史史料 近世Ⅱ」(活字)  608ページ下段5行目「廿九日 大雨 七過ゟ晴・・・・・・」から。

講師:本会会長 藪田貫先生(兵庫県立歴史博物館館長、関西大学名誉教授)      

参加費:500円(資料コピー代共)

お問い合せ先: 内田正雄 (Tel 06-6877-2590)

(8月は夏休みです。夏バテしないよう、9月25日(月)に元気に会いましょう)

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2017年7月17日 (月)

平成29