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2018年3月22日 (木)

大塩ゆかりの地を訪ねて⑧「能勢騒動-山田大助が辿った跡-」

 大塩の乱に刺激され一揆を起こした、山田屋大助の辿った跡を訪ねる。騒動に関係する地域は、ほぼ旧多田荘九万八千町歩、七郷七二村に相当する広範囲である。今回はほんの一部しか紹介出来ないが、今でも素晴らしい景観と歴史が残る地域である。

野間の大ケヤキ 
005b 旧蟻無神社(現野間神社)の境内にあり樹齢千年以上、幹囲が十三米以上。神木として保護され、今でも生長を続けている能勢町の樹木のシンボル。昭和二三(一九四八)天然記念物に指定される。大助等は、ここで山田村の粂蔵ら村人と合流・休憩の後、名月峠へ向ったと云われている。








杵の宮・岐尼(きね)神社
010b 能勢街道を少しはずれた山田町小部にあり、延喜式に記載されている。今は大きな木と小さな建物だけが残るが、周辺の自然と相まって、靜かで心地良い。
 祭神のひとつに多田源氏の祖、源満仲の多田大権現を祀るとある。大助は先祖が多田院の御家人であることを誇りに思っており、神聖な場所であった。この宮で大助が考え、今井藤
蔵に「各村各家別に一軒ごとに一名を今晩中に杵の宮に集合させよ」と書かせ、一夜の内に三一ヶ村に『廻文』している。この早さは多田院が御家人達に召し状を出し、至急の集結を呼びかけたことを大助が知ってのことか。


興福寺
019b 三田市木器(こうづき)の東部山地の山裾にある曹洞宗の寺院。高台にある本堂の眼下、見晴らしの良い田畑が広がる。裏の墓地の奥は深い山になっており山城のようだ。捕手方を見下ろせるこの寺を、大助は初めから知って拠点にしたと考えられる。
 立て籠った一揆勢は空砲で脅しを掛けられると悉く逃げ去る。後に残った首謀者三人は多勢無勢の状況下、壮烈な最期を遂げる。捕手方から打込まれた鉄砲玉の跡が残っていた本堂は焼失。数年前までは「能勢騒動」の案内板が境内にあったそうだか今はない。(内田正雄・本会会員)

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