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2020年9月 2日 (水)

大塩ゆかりの地をたずねて (10)「城下町古河と鷹見泉石」

大塩捕縛の指揮をとった、古河藩家老鷹見泉石と城下町を訪ねる。

 JR古河駅を降りて西に歩くと武家屋敷の面影を残す住居や日光街道古河宿の石碑に出会う。古河城は渡良瀬川を背にした平城で、三層の櫓があったそうである。古河歴史博物館・鷹見泉石記念館に向かう道すがら、古河第一小学校沿いに鷹見泉石生誕之地の碑を見ることが出来る。泉石は洋学蘭学に秀で、オランダ商館商館長ブロンホフよりダップル・ヘンドリックの蘭名をもらっており、碑には泉石のオランダ語での署名も刻まれている。碑の解説文には次のように書かれている。

「鷹見泉石 十郎左衛門忠常といい、泉石は引退後の名前である。天明五年(一七八五)六月二十九日、土井氏代々の家臣、鷹見忠徳の長男として、当時四軒町と言ったこの地に生まれた。十一歳より藩主土井利厚・利位の二代に仕え、ついには江戸家老に進み敏腕をふるった。とりわけ藩主利位の「大塩の乱」鎮定・京都所司代から老中への昇進と幕政参画など、その陰にはつねに泉石の補佐が与って大きかった。(中略)渡辺崋山筆、国宝「鷹見泉石像」はよくその姿を伝えている。(後略)
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 さらに南に歩き小道を入ると、木々や竹林が茂る古河歴史博物館と鷹見泉石記念館がある。同記念館は晩年を過ごした武家屋敷で、庭に竹林がある非常に静かな所であった。博物館では雪の殿様で知られる利位と泉石・洋学などの展示を見ることが出来る。市街に戻り北に歩くと泉石の墓がある正麟寺となる。墓域の中央に泉石の墓があり「故大夫鷹見泉石府君之墓」と刻まれ、その墓誌は漢学者の大槻磐渓の撰である。今でも墓には花と線香が供えられ大切にされている様であった。
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(松浦信輝・本会会員)

( 『大塩研究』第83号 2020年8月刊 より転載)

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