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2021年3月21日 (日)

大塩ゆかりの地をたずねて(11)「平野郷とどんどろ大師」

 大阪の平野は泉州堺のように、戦国時代前から規模は小さいが環濠に囲まれた自治都市であった。大塩事件鎮定にあたった大坂城代古河藩主土井利位は、この平野の地に飛び地の所領を持っていた。
 JR関西線の平野駅南側には古くからの民家や路地があり、その先の大念仏寺の甍を見ながら東に向かった。市立平野小学校辺りに古河藩陣屋が在ったらしい。同校正門前には陣屋跡の石碑が建てられている。来た道を少し戻り、大念仏寺の南門を訪ねる。これは古河藩陣屋の門を移築したもので、門扉は樟の一枚板で出来ているとのことである。私もこの門扉と柱に手を触れて、家老の鷹見泉石もここを潜ったのだろうかと当時を想ってみた。

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左:古河藩陣屋跡                   右:大念仏寺の南門

 玉造という街をご存知だろうか。大阪の人なら場所は判ると思うが、その名の謂れは古墳時代に勾玉を作っていたことによるらしい。私は戦国時代に鉄砲や大砲の玉を作っていたためだと勝手に思っていた。お恥ずかしい限りである。
 ここに土井家に縁の「どんどろ大師」と云う変わった名前の善福寺がある。しかし何故どんどろ大師なのか。土井利位の屋敷の隣に当時「鏡如庵大師堂(きょうにょあんたいしどう)」と言ったこの寺が在ったため、人々が「土井殿の大師」から訛って「どんどろ大師」になったと言う説がある。(牧村史陽編『大阪ことば辞典』講談社より) これは先日の大塩事件研究会例会で会員の方から教えて頂いたのだが、諸説あるようである。
 寺の山門を潜ると本堂の前に、土井氏と刻まれた古い五輪塔が残されている。歌舞伎「傾城阿波の鳴門」の一場面、「国訛嫩笈摺(くになまりふたばのおいづる)には、「どんどろ大師門前の場」が出て来る。同寺門前には有名な巡礼姿の娘おつると母お弓の像と銘板があった。「とと様の名は阿波の十郎兵衛、エエ、して、かか様の名は、アイ、お弓ともうします」は聞いたことのある様な・・・。

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左:どんどろ大師(善福寺)               右:娘おつると母お弓の像

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左:どんどろ大師境内                 右:土井氏と刻まれた五輪塔

(松浦信輝・本会会員)

( 『大塩研究』第84号 2021年2月刊 より転載)

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