大塩事件研究会・本会・記録

2024年4月14日 (日)

令和6年3月例会(法要・講演会・総会)の記録 (2024.4.14)

三月例会 一八八回忌大塩父子及び関係殉難者怨親平等慰霊法要、記念講演会、総会

三月三十日(土)午後一時三十分より成正寺に於いて、一八八回忌大塩父子及び関係殉難者怨親平等慰霊法要が営まれた。法要の後、大阪市立大学名誉教授の谷直樹先生による記念講演会、二〇二三年度大塩事件研究会総会を開催した。

法要

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有光友昭住職のお導きのもと、成正寺本堂および大塩父子慰霊碑前において、例年に増して多数の会員並びに一般の参列者が集うなか、法要が厳かに営まれた。

谷 直樹先生による記念講演会

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左:谷直樹先生               右:谷先生と藪田会長

 谷直樹先生(大阪市立大学名誉教授、元大阪くらしの今昔館館長)には、「知られざる豪商・加島屋の住まいと暮らし」との題目でご講演いただいた。加島屋こと廣岡家は尼崎にルーツを持つ町人で、元禄六年(一六九三)には玉水町に土地を所持していた。また、延宝七年(一六七九)の『難波すゝめ跡追』にも廣岡家が確認できることから、一七世紀の後半には大坂に拠点を持ち、経済活動を展開していたようである。

ご講演の中核となったのは天保一一年(一八四〇)の加島屋本宅絵図で、絵図の分析に基づいて見世の間や茶室の構成・特徴などについてお話しいただいた。加えて建築史学の分析手法として、「貼絵図」を用いた年代比定や、長者番付の挿絵から明らかになった加島屋の屋敷構えの検討結果が興味深かった。建築史学をご専門とする谷先生のお話を通じて、文献史学とは異なる着眼点から天保期の大坂について知見を深めることができたように感じた。

総会

 法要及び講演会に続いて総会を開催。二○二三年度事業報告、次年度活動計画、会計報告、会計監査報告及び役員の改選の報告があった。 

〔出席者〕会員及び一般参加者 計四二名 

(文・松本充弘、写真・松浦信輝)

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2024年2月22日 (木)

令和6年2月10日例会・講演会の記録 (2024..2.22)

◇ニ月例会

◆松永友和氏による講演会

演題 大塩事件と坂本鉉之助 -「乱」を鎮圧した武士の生涯-

〇令和六年二月十日(土)午後一時半より

 於 成正寺

    二月の例会は松永友和氏(徳島県立博物館学芸員、会員)を招いて、乱を鎮圧した坂本鉉之助と大塩平八郎との関係、鉉之助の著書、坂本家の系譜、大阪市中央区の大倫寺にある鉉之助の墓と顕彰碑「剛毅君之碑銘」に関する講演をいただいた。また、当日は澤田平氏(会員)による、火縄銃と関係書物の展示紹介もあった。

〔出席者〕三十名 (文・松浦信輝、写真・松浦信輝、宮元正博)
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左:松永先生                    右:大塩父子墓前で藪田先生と松永先生

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2023年11月29日 (水)

令和5年11月9・10日 例会(展示会)の記録 (2023.11.29)

◇十一月例会

◆「大塩平八郎終焉の地」碑移設記念展示会

〇令和五年十一月九日(木)午後二時より午後四時

   同 十一月十日(金)午前十時より午後三時

 於 大阪市西区靭会館

 「大塩平八郎と大阪」と題して、大塩平八郎終焉の地である西区靭本町にて大塩に関する貴重な品々の展示会を開催した。平日にもかかわらず多くの方の来場をいただけた。

 藪田会長、会員の方々所蔵の古文書、古地図、掛軸、大塩に関する書籍などの実物の展示と会員による来場者への説明を行った。研究会で毎月行っている「大塩の乱関係資料を読む会」で使う古文書の実物、大塩と交遊が深かった林良斎「主忠信」「致良知」の掛軸と巻子、乱で使用された「救民」の幟(複製)などを展示する中、それらの前で記念撮影されている来場者の姿が多くみられた。

〔出席者〕会員・一般 両日で延べ五四名

(文・松浦信輝、写真・大塩祥三)
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会場の全景                       展示された古文書類

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林良齋の書の掛け軸と巻子                救民の幟

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2023年10月 2日 (月)

令和5年9月2日 例会・講演会の記録(2023.10.2)

◇九月例会

〇令和五年九月二日(土)午後一時半より

 於 成正寺

◆保田恒雄氏(本会会員)による講演会

演題 「天下の台所の奉行所与力たち」

『浪花の風』にある一節には、「士といえども土着のものは、自然此風に浸潤して廉恥の心薄く、質朴の風なし。これ浪花風俗の大概なり」とある。

 はたして天下の台所大坂で働く奉行所の与力もそうであったのか?

 『金言抄』や与力三宅十郎右衛門の由緒書を紐解きながら、与力の殆どが明治政府に再雇用されており、職務に熱心な「廉恥の心強く、質朴の人」であったと思われる、と述べられた。。

なお、保田氏は放送大学で学ばれ、「大坂と大塩」をテーマに修士課程を修了されたと藪田会長よりご紹介があった。

 

◆天満家芝楽氏(芝恒雄氏 本会会員)による落語

演題 「佐々木裁き」

 大坂西町奉行佐々木信濃守と桶屋の子忰(高田屋四郎吉)との頓智問答。

 子供たちの裁判ごっこでその裁きに感心した奉行が、四郎吉と父親を奉行所に呼び質問をするが、四郎吉の返事にますます感心し、士分に取り立てられる。

 今回は例会の新しい企画として落語を演じていただいたが、皆様とても楽しんでおられる様子であった。

   (文・浅田 淑、写真・松浦信輝)

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左:保田恒雄氏                     右:天満家芝楽師匠
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左:講演会風景                    右:藪田会長と講師のお二人

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2023年7月12日 (水)

令和5年7月8日例会 内田満氏(本会会員)講演会記録 (2023.7.12)

講演会

 演題 写本『咬菜秘記』・『酊醒録』、埼玉にあり -稀觀本二書、二冊目の軌跡-

○令和五年七月八日(土)午後一時半より

○於 成正寺

 大塩の乱に関わった坂本鉉之助『咬菜秘記』と無名氏『酊醒録』、この関西で生まれた二書が、誰によって、どの様な経路で遠く隔たった関東の蘭方産科医の小室家の書棚へ到達したかと言う数奇な運命を明らかにする。小室家で学んだ安藤文澤が鳥羽藩稲垣侯の侍医として侯の大坂加番に随行し、坂本鉉之助と親交を結んだことに始まると述べられた。

『咬菜秘記』は文澤筆写本を好古家であった五代小室元長が借用・筆写した小室家写本(埼玉県立文書館蔵)、文澤から引き継いだ長男安藤太郎経由の写本(国会図書館蔵稀覯本)が存在する。『酊醒録』についても鳥羽藩家老家の筆写本を文澤が後日入手し、さらにそれを五代元長が写した小室家筆写本(埼玉県立文書館蔵)となる。その他に、別ルートの写本が国文学研究資料館と大阪府立中之島図書館にもあると言う。詳しくは大塩研究第八八号三頁及び近刊の第八九号をご覧ください。

〔出席者〕 計二一名(文、写真・松浦信輝)

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左右共:内田満先生

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左:講演会風景                  右:藪田会長と内田先生

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2023年6月 1日 (木)

5月度例会・フィールドワーク「兵庫津ミュージアム観覧と兵庫津を歩く」の記録

 五月二一日(日)午後一時三十分より、神戸市兵庫区でフィールドワークが開催された。案内人は兵庫県企画部地域振興課歴史資源活用専門官の山下史朗氏。

 JR三ノ宮駅中央口コンコースに集合後、神戸市営地下鉄海岸線を利用して中央市場前駅まで移動。まず、そこから徒歩五分の兵庫県立兵庫津ミュージアムの「ひょうごはじまり館」に移動して山下氏の説明を受けながら常設展示を見学した。

 兵庫津は大輪田泊(おおわだのとまり)と呼ばれた長い歴史を持つ港町である。古代の自然が天然の良港の基礎を形成し、奈良時代には行基が港を修築した。そして、平安時代には平清盛が日宋貿易を行い、鎌倉時代には一遍上人などの多くの高僧が活動した。また、室町時代には足利義満が日明貿易の拠点とし、戦国時代には池田恒興(織田信長家臣)が兵庫城を築城。江戸時代には尼崎藩領からのちに幕府領になり、西国街道が通り、海陸交通の接点として賑わう町になった。そして、幕末には開港場となり、兵庫県が誕生する起点になった。

 常設展示を見学後、同ミュージアムの「初代県庁館」に移動し、慶応四年(一八六八)に誕生した兵庫県の初代県庁舎として使われた旧大阪町奉行所兵庫勤番所の復元施設を見学した。その後、初代県庁館の近くを流れる日本最大級の兵庫運河(新川運河)に掛かる大輪田橋を渡り、清盛塚を観覧した。さらに、一遍上人(時宗の開祖)が亡くなった寺と伝えられる真光寺へ向かい、一遍上人廟(県指定史跡)を拝観した。その後、平清盛に縁のある寺として有名な能福寺(天台宗)で、日本三大仏に数えられる兵庫大仏を拝観。西国街道をしばらくウォーキングして、JR兵庫駅で解散した。

 兵庫津の歴史を再発見できる、見どころ満載のフィールドワークであった。

(主なコース)中央市場前駅(神戸市営地下鉄海岸線)→兵庫津ミュージアム(ひょうごはじまり館→初代県庁館)→清盛塚→真光寺→能福寺(兵庫大仏)→JR兵庫駅(解散)

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左:兵庫津ミュージアム(ひょうごはじまり館)    右:同

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左:兵庫津ミュージアム(初代県庁館)        右:清盛塚

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左:真光寺                     右:能福寺(兵庫大仏)

〔出席者〕計二十名  (文・写真共:大塩祥三)

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2023年3月31日 (金)

三月二五日「一八七回忌大塩父子及び関係殉難者怨親平等慰霊法要」及び「記念講演会」の記録(2023.3.31)

三月例会

三月二五日(土)午後一時三十分より成正寺に於いて、一八七回忌大塩父子及び関係殉難者怨親平等慰霊法要が営まれた。法要の後、帝塚山学院大学教授・福島理子先生による記念講演会、令和五年度大塩事件研究会総会を開催した。

法要

有光友昭住職のお導きのもと、成正寺本堂および大塩父子慰霊碑前において、会員他多数の参列者が集うなか、法要が厳かに営まれた。

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講演会

 帝塚山学院大学教授・福島理子先生による「詩に遊ぶ大塩新出資料が教えてくれること」と題した講演をいただいた。
 近年、寝屋川市内の旧家で見つかった「大塩平八郎漢詩屏風 一隻 八曲」にある漢詩と刊本『洗心洞詩文』のものとを比較し、その違いから大塩の思いを語られた。第五扇の屏風漢詩には橋本(忠兵衛)宅の名があるが、刊本では友人宅となっている。第五扇にある「藥花」(芍薬)は、刊本では「薫蘭」となっているが、蘭は中国楚の公子屈原が好んだ花である。但し、屈原が『離騒』の中でうたう蘭は、キク科のフジバカマを指し、清らかな香りに清廉潔白を託す。屈原は楚の王を何度も諫めるが誰にも理解してもらえず、追放され、汨羅江に身を投げた。大塩は自らの境遇を屈原に重ねているという。
 他にこの研究のために購入された「大塩平八郎七言絶句二首詩軸」を会場に展示し、その内容についても解説していただいた。

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左:福島理子先生                   右:講演風景

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上:大塩の軸を挟んで、藪田会長と福島先生 

総会

 法要及び講演会に続いて総会を開催。令和四年度事業報告、会計報告、会計監査報告及び今年度事業計画報告が行われた。 

 出席者 三六名

(文・写真:松浦信輝)

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2023年2月21日 (火)

令和4年10月例会・講演会「私の大塩研究回顧と最終地点からの報告」(森田康夫先生)の記録

森田康夫先生による講演会 

演題「大塩研究の回顧と最終地点からの報告 ―大塩の儒教的自然観について―」

〇令和四年十月八日(土)午後一時半より

 於 成正寺

 十月の例会は森田康夫先生をお迎えし、大塩門人の西村履三郎を皮切りとして展開された先生ご自身の研究履歴と、「太虚」を初めて自らの思想の中核とした大塩平八郎の思想史上に占める位置についてご講演頂いた。詳しくは大塩研究第88号の四一頁の松本充弘氏による紹介文をご覧ください。出席者三十名   (松浦信輝)

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左:森田康夫先生                   右:森田先生と藪田会長

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会場風景

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2023年2月19日 (日)

令和5年2月例会と講演会「大塩平八郎と林良齋」の記録

 令和五年二月四日(土)午後一時三十分より成正寺にて、コロナ症対策を留意の上行なわれ、二十六名が出席した。

講師は香川県多度津町にお住まいの塩野てるみ先生(弘濱文庫代表)。演題は『大塩平八郎と林良斎』。

 多度津藩の家老である林良斎は、洗心洞で陽明学を学ぶなど大塩平八郎と深い交流があった。
大塩は『良斎は孟子のいわゆる教育することをもって大楽とするに足る天下の一英才』(塩野てるみ 『林良斎』)と評している。
詳しくは『大塩研究』89号の「この人に聞く」欄に関連記事が掲載される予定ですのでご覧下さい。

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左:藪田会長挨拶                  右:塩野てるみ先生

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左:講演会風景                   右:藪田会長と塩野先生

(文:内田正雄、写真:松浦信輝)

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2022年12月 8日 (木)

『大塩平八郎終焉の碑』移設記念映画会開催の記録

 令和四年十一月二六日 JTC靭テニスセンターに於いて、「大塩平八郎終焉の地碑」移設の記念映画会が開催された。会場は、地碑が移設された大阪市西区の靭公園内にある。
 映画会には大塩事件研究会の会員だけでなく、移設に際してお世話になった地元西区の方々や一般の方々、四一名が参加。十分な新型コロナ感染症対策のもとで開催された。

 映画会に先立ち本会の薮田貫会長より挨拶を述べ、引き続いて道上武男氏(大阪市西区靭連合振興町会会長)よりご挨拶をいただいた。

 薮田会長からは、新東宝作品は結末が事実とは異なるが、実際はこうあってほしかったという願望が後になって込められている点が作品として素晴らしい旨の事前説明があった。

 道上氏からは、西区の皆様にとって、大塩事件がいっそう身近なものになればと願いたい旨のお話があった。

 上映作品は二本あり、新東宝作品「風雲天満動乱」第二部(上映七〇分)、嵐寛寿郎主演(一九五七年)の上映の後、十五分間の休憩を挟んで、当会制作の記録映画「大塩平八郎と民衆」(上映三〇分)、島田耕監督(一九九三年、文部大臣賞受賞作品)が上映された。

 記録映画の上映前には、本映画監督の島田氏から解説をいただいた。フィルムからビデオへと時代が変わる中での制作現場のことや受賞時のこと、また、それらとは別に、島田氏と陽明学や大塩はんとのご縁などのお話もあり、たいへん感慨深い内容であった。

 参加者は皆、上映中、映画に釘付けになっており、これらの作品に感銘を受けた様子が伺えた。

 閉会の挨拶では、本会の内田正雄事務局長から参加者に、「終焉の地碑」のある西区での催しを毎年続けたく願っており、来年は大塩関連の展示会を予定している本会としての意向を伝えた。なお、閉会後には、「大塩平八郎終焉の地碑」に足を運び、余韻を味わう参加者も多く見られた。(記事:大塩祥三、写真:松浦信輝)

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左:JTC靫テニスセンター内の会場             右:挨拶する藪田会長


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左:記録映画の島田耕監督                右:映画会の光景

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