大塩事件研究会・本会・記録

2018年6月 7日 (木)

平成30年4月、中之島図書館・大塩の乱180年記念展の記録

平成30年4月3日(火)~4月27日(金)、大阪府立中之島図書館で開催された『時ならぬ浪華の花火-大塩の乱一八〇年-記念展』は、入場者3668名の盛況でした。記録写真をご覧ください。

1.展示会風景
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左:開会前日準備風景
右:期間中の展示場風景


2.講演会・映画会(4月14日)
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左:薮田会長の開会の挨拶       右:会場一杯の聴衆

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左:朝日新聞・大峯伸之記者の講演     右:10回に亘った連載記事執筆の裏話

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左:映画「大塩平八郎と民衆」の監督・島田耕さん 右:映画の一場面、大塩の講義を受ける百姓たち

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左:ギャラリートーク、薮田会長が展示物解説

3.古文書講座「大塩の檄文を読む」   4.大阪歴史博物館で、大塩関連図書紹介
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左:3週連続講座、講師は薮田会長     右:博物館2階なにわ歴史塾での図書展示

本催しの詳細は、平成30年秋発行予定の、機関誌・学術誌『大塩研究79号』をご覧ください。

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2018年6月 5日 (火)

5月例会 フィールドワーク「大塩平八郎ゆかりの吹田を歩く」記録

5月27日(日)、風もあり薄ぐもりの絶好のウォーク日和に恵まれ、15名が参加して行われた。

 今回はテーマを「大塩平八郎ゆかりの吹田を歩く」と名付け、大塩平八郎と関わりのある、宮脇志摩・橋本清太夫ゆかりの旧吹田村を地元の内田が案内した。

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(写真 左:泉殿宮参道の燈籠、右上:泉殿宮本殿、右下:泉殿宮での民話の朗読)


 江戸時代後期に建てられた石燈籠から先が泉殿宮の参道。昨年大改修した本殿を拝した後、整備された境内で宮脇一彦宮司より宮脇志摩、本殿改修等の話を聞く。

この後、大塩の乱と泉殿宮の関係を伝える民話『泉殿の神主さん』を土井委員がさわやかに朗読してくれた。

Dsc_0098b 宮脇家の墓所は玉林寺の北、浄光寺の境外墓地にあり、時代を憚ってか、墓石には『宮掖有孚、室理加合墓』と記されている。しかし隣にある明治時代に建てられた『志津摩の墓』には宮脇志摩、室理加三男と書かれていた。

ついで、行基創建と伝えられる常光円満寺、重要文化財に指定されている旧西尾家住宅を経て、浜屋敷で休憩。ここは吹田市が寄贈を受けた旧庄屋屋敷を改修整備し「吹田歴史文化まちづくりセンター」として活用している。(写真:宮脇志摩の墓)

元気を取り戻した後、大塩平八郎も大坂から吹田に来たとき利用したと思われる神崎川「吹田の渡し跡」へ。『摂津名所図会』にも記載されていると案内板にある。

Dsc_0099b 薄茶に色分けした吹田街道を北へ進むと亀岡街道、能勢街道につながる分岐点に「南町道標」が立つ。更に進むと橋本家の菩提寺「正福寺」に着く。

  室町時代の創建で中興の橋本長蔵正福(橋本家の祖先)の名から寺名が付けられた。江戸時代末期の橋本清太夫は大塩平八郎と親交があり、二人の子息も『洗心洞』の門人であったが親子とも乱には参加していない。
(写真:正福寺 天神神輿の碑、碑の解説文「吹田史蹟 天神境内 この碑は、慶長二十年(一六一五)四月、徳川家康の大坂征討(大坂夏の陣)命令を聞いた天満天神社が神輿の避難を計画し、その避難先が吹田村の有力者橋本清太夫屋敷になったことを記念して、文化元年(一八〇四)に作られたものである」)


暑い中5キロを超えるフィールドワークであったが、古くからの会員・遠方からの会員もお元気で、定刻吹田駅に戻り解散した。       (内田正雄 記)

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2018年3月31日 (土)

3月例会記録 182回忌大塩父子及び関係殉難者怨親平等慰霊法要及び記念講演会

 3月25日(日)午後1時30分から、成正寺で、182回忌大塩父子及び関係殉難者怨親平等慰霊法要が行われ、記念行事として、講談師 旭堂南海師による講演が行われました。また、講演後、研究会の総会が開催されました。

◆法要
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例年通りの厳かな法要でした。

◆講演:旭堂南海師「大塩事件と講談」
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 いつも和服姿の南海師がジャケット姿なのに驚きました。今日は「口演」ではなく、「講演」だからということです。
 南海師は、講談名人であるばかりでなく、講談に関する資料を多く集められ、研究者としても有名です。落語界の桂米朝師に匹敵するのではないでしょうか。

 演題は「大塩事件と講談」。事件から幕末、さらに明治・大正期と、事件にまつわる実に多くの講談が語られ、大塩が庶民に人気があった様を、豊富な資料を駆使してお話しいただき、実に興味深いものでした。

 事件直後に、江戸の講釈師・塚田太琉が大坂の地で、『慶安太平後日の講釈』と題して講釈し、三日目に奉行所から差止めになった。その後もいろいろな講釈師が、人名を変え,、時代を変えるなどして、次々と演じ、人気を博しました。
 多くは「実録」として演じられたが、その実、「真実六分、嘘四分」、それどころか、「真実四分、嘘六分」で、面白おかしく作られたものだという。

 中には、決起の話から、江戸の大岡政談の向こうを張って、大塩の三大功績、特に豊田貢事件を主体に、政談に変えようとして曖昧になってしまった話も多い。大坂には江戸のような人気の名判官がいなかったからだろうとのことです。

 このお話は、いずれ『大塩研究』に掲載されるはずです。楽しみにお待ちください。

◆講演終了後、年1回の総会が開かれました。
平成29年度の事業報告、会計報告、会計監査報告、平成30年度の事業計画、役員改選、事務局連絡などがありました。
平成30年度の事業計画については、別ページに記載していますのでご覧ください。

(文責 井上宏

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2018年1月30日 (火)

2018年1月例会、講演会「天保能勢騒動-首謀者山田大助の狙いを探る」

2018年1月例会・講演会は、27日(土)午後1時30分から、成正寺で行われました。

講師は、土岐稔先生
先生は、小説「山田大助-天保能勢騒動」の著者。小学校の校長を務められながら、郷土史の研究をされ、その成果から、小説を書かれました。

今回の演題は「天保能勢騒動-首謀者山田大助の狙いを探る」
この事件については、『大塩研究』75号・76号で、すでにご執筆いただいていますが、先生のお話を直接お聞きしたいと、お願いしました。

講演の冒頭、先生は講演の狙いを次のように述べられました。
「1837年(天保8)2月19日に大塩平八郎が挙兵し、人々を驚かせた。その5か月後、大坂北の能勢で大規模な騒動が起こった。大塩平八郎が生存しており、能勢で再び挙兵したという噂が広まった。
 しかし、首謀者は大坂斉藤町に住む山田大助と仲間だと分かり、人々はさらに驚いた。
大助はわざわざ能勢まで出かけ、何故騒動を起こしたのか、何の狙いがあったのか、いまだに疑問が残ったままである。挙兵事件を起こした大塩平八郎と能勢騒動を起こした山田大助の真の目的は何だったのか。二人の奥底にある思いは重なるのかどうか、史料を追及・検討するのは当然であるが、史料を超えて、大塩と大助の狙いを探っていきたい」。

講演の内容は75号・76号をご覧いただくとして、ここではこれ以上述べません。
著者から直接お話を聞き、質疑応答が出来たことは大いに意義がありました。
この事件には様々な説が唱えられていますが、いずれも確証がなく、実に不思議な事件であるとの印象が残りました。

講演後、箕面の藤井隆さんから、ご自宅に残る大塩平八郎の漢詩掛け軸の披露がありました。4月の大阪府立中之島図書館におけるイベントで展示させていただく予定です。

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(文責 井上宏

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2017年11月29日 (水)

11月例会・フィ-ルドワ-ク「酒と織姫の町池田を歩く」の記録

11月例会はフィ-ルドワ-ク「酒と織姫の町池田を歩く」でした。

途中、池田市立歴史民俗資料館で開催中の特別展「『天若不愛酒』(てんもしさけをあいせざれは)-近代池田の酒づくり」を見学し、また、池田城跡公園ほかの「紅葉」も見頃で、楽しいフィールドワークとなりました。
案内人は歴史民俗資料館学芸員の宮元正博氏(当研究会会員)です。

1118日(土)1300、阪急電鉄宝塚線池田駅改札前に集合。午前中降り続いた雨も止み、ラッキーでした。

池田駅を出発し
→呉服神社→室町住宅→呉服座跡→吉田酒造主屋→呉春株式会社(外から)→小林一三記念館→池田城趾公園→塩増山大広寺→歴史民俗資料館→能勢街道→池田駅で、
1630頃に解散しました。

本ホームページ制作者は、体調不良のため欠席しましたので、会員の山崎弘義さん撮影の写真をご覧ください。写真の後に、宮元さん制作の資料を参考に付けておきます。

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左:呉服神社参道           右:呉服神社境内

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左:姫室(呉服神社内)        右:呉春株式会社

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左:呉春酒蔵(黒塀建物)

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左:城址公園入口で説明を聞く一行   右:池田城址公園

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左:大広寺山門            右:小林一三の墓

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左:池田茶臼山古墳前         右:池田市立歴史民俗資料館(入口)

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左:池田市立歴史民俗資料館内     右:星の宮

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法園寺山門

◆フィールドワーク「酒と織姫の町池田を歩く」資料:

                    池田市立歴史民俗資料館 宮元正博

下記をクリックしてファイルを開いてください。

「171118.docx」をダウンロード

(文責 井上宏

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2017年11月 2日 (木)

講演会「再考 大塩平八郎ー大塩の乱180年によせて-」が開催されました。

10月29日(日)、午後1時30分から午後4時、大阪市立中央図書館5階大会議室で、
講演会
「再考 大塩平八郎ー大塩の乱180年によせて-」が開催されました。
大塩事件研究会・大阪春秋・大阪市立中央図書館の共催です。

サブタイトルは、
-大塩平八郎とは何者なのか? 大塩の乱とは何だったのか? 大塩の乱180年の節目に、歴史・文学の専門家とともに考えます-

講演とパネルディスカッションの2部構成
第Ⅰ部
①講師 薮田貫氏(大塩事件研究会会長・兵庫県立歴史博物館館長)による「大塩事件とは何か」
②講師 福島理子氏(帝塚山学院大学教授)による「大坂をうたう大塩平八郎-『洗心洞詩文』から-」
③講師 岩城卓二氏(京都大学教授)による「大塩の乱と能勢騒動で武功をあげた武士-水野正太夫の人生-」
第Ⅱ部
上記3氏によるパネルディスカッション「大塩の乱とは何だったのか」

3階で関連展示もありました。

当日は雨天、夕刻に大型台風が近畿に最接近の予報で、前日から図書館に開催についての電話が沢山寄せられたそうです。
それでも、180名と大勢の聴衆が詰めかけ、熱心に講師の話に耳を傾けました。
その様子を写真と本稿執筆者の感想を交えて報告します。

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左:3階展示(許可をいただいて撮影)           右:立派な5階会場。聴衆で埋まるか心配しました

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左:定刻前には、180名の聴衆にカメラも入り、良い雰囲気です 右:定刻、図書館の司会者が開会宣言

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左:薮田会長「大塩事件とは何か」              右:福島理子先生「大坂をうたう大塩平八郎」

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左:岩城卓二先生「大塩の乱と能勢騒動で武功をあげた武士」 右:パネルディスカッション「大塩の乱とは何だったのか」

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左:「大塩には未だに謎が多い」と薮田先生         右:「大塩の漢詩には人間性が出ています」と福島先生


【本稿筆者の印象に残ったこと-メモ】
1.薮田先生のお話から:本日講演の概略
○大塩については同時代の武士・文人・世間から様々の証言がある。それから、彼の有能な役人として、大学者として、厳格な教育者として、また民衆救済のために立ち上がった幕府への反逆者として、様々な人間像が浮かび上がって来ている。
 しかし、事件から180年。大塩の研究がされ始めた明治・大正からも100年以上経ち、子孫が続々名乗りを上げ、事件前日に江戸に送った建議書の内容が明らかになり、大塩の数々の書簡の研究も現れた。過去とは異なった様々な視点からの分析がなされつつある。その中から本日は特に、大塩を巡る文と武の問題に焦点を当てて、三人で話をしたいとのこと。
○薮田先生からは、まず、学者(文)と政治(武)の関係。福島先生からは、今まで取り上げて来られなかった詩人・文人としての大塩。岩城先生からは、武人政権でありながら、武功とは無縁であった武士に突如武功のチャンスをもたらした大塩事件-という三つの観点からお話しいただくと、講演の方向性が示された。

2.薮田先生「大塩事件とは何か」
○当時の大坂は江戸の人間から見ると田舎。大坂は銭の世界。役人も銭にまみれた田舎武士。江戸から来た役人にとっては、金をつくる手段としての町。その中で、唯一金に汚れない大塩。
○与力は下級武士であるが、大塩は武士としての誇りを持ち、戦いの先頭に立った。
○中国・韓国は科挙で選ばれた文人政治。対して日本は武人政治の国。大塩は与力であるが、学者であり、武士であった。政治への関心が高く、絶えず政治批判をしていた。
○大坂で、賄賂や不正無尽で金を作り、中央で要職に就く権力者たち。大塩は地方から狼煙を上げることにより、中央政権の覚醒を図り、政治の力で地方の窮状を救おうとした。学問の力と武士の政治力で世を変えたいと動いた。それが乱であり、建議書である。
○大塩父子と有力門人の思いに断絶があったかも知れない。門人の思いを研究する必要がある。

3.福島先生「大坂をうたう大塩平八郎-『洗心洞詩文』から」
○今日は雨であるが、大塩には雨を詠った詩も多い。大塩なら政治を詠った詩が多いだろうという先入観があるが、そうではない。
○荻生徂徠は中国を詠んだもの、頼山陽は目前の情景を詠んだものが多い。大塩は朝早く大坂郊外を歩いていて詠んだ詩が多い。
○大塩の詩には、詩人らしい一面が窺える。同時代の篠崎小竹や岡田半江らと共有していた美意識がそこにはある。また、ユーモアのあるもの、人情味溢れる詩も多い。
○大塩に対し世間が抱いている先入観とは違った世界が大塩の詩の中にはある。

4.岩城先生「大塩の乱と能勢騒動で武功をあげた武士-水野正太夫の人生-」
○水野正太夫-出自は百姓・町人である非正規雇用の武士(渡り武士)。武功を上げ、正規雇用となり、息子に家督を相続することが出来た、稀有な存在。
○渡り武士は、役付の期間だけ家臣を増やさなければならない旗本の、雇用の調整弁。旗本集団全体の共同財産的存在。行政手腕で旗本から旗本へと渡り歩くが、生活は不安定。失職の危険が絶えず付きまとっていた。江戸時代は武士の社会であり、行政手腕で出世するチャンスはない。
○大塩の乱は、島原の乱以来200年、初めて公儀御威光が試された瞬間。水野はそのチャンスを捉えることが出来た。

5.パネルディスカッション(大塩を巡る文と武)
福島先生:
○中国・朝鮮は文人政治。学問が出世につながる。日本はつながらない。日本の学者は身分が低い。コンサルタント的立場でしかない。そのため絶えず学問の意味を問いかけている。屈折している。
○その中で、大塩は学者である前に役人である。行動する儒者として、無用の学問から解放されている珍しい存在。

岩城先生:
○水野は武功で出世したにも拘らず、それまでの生活からは武の姿は見えてこない。俳人・茶人の姿は見えるのに、武の姿は見えず、どこで身に着けたのか不明である。
 本人としては、普段の勤め方もあっての出世と思っているらしいが、文功を一瞬で乗り越える武功の姿がここにある。
○今一つの話題として、主題からは離れるが、建議書開封の問題を提起したい。盗んだ建議書を開封したのは、盗人の無宿清蔵となっている。しかし、他の文書が開封されていないのに、建議書だけが開封されているのは解せない。開封したのは、江川太郎左衛門ではないかと疑われる。

 まだまだ話は面白くなりそうでしたが、時間が来ましたので、薮田先生の「大塩事件は100年以上研究されていますが、まだ分からないことが沢山あります。今後の研究に待たれます」との言葉で、残念ながら終了となりました。

10月1日発行の、『大阪春秋』秋号・大塩の乱180年特集号には興味溢れる記事が満載です。ご高覧ください。

(文責 井上宏

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2017年8月 6日 (日)

研究会7月例会・講演会「幕末期の社会変容と慶応二年大坂打ちこわし」記録

研究会7月例会は、7月22日(土) 午後1時30分から、成正寺で行われました。

講師は、天理大学図書館 澤井廣次先生
天理大学・神戸大学大学院を卒業された、新進気鋭の研究者です。研究会の会員でもあります。
講師紹介で、薮田会長は、このような若い研究者が我々に続いてくれることは非常に頼もしいと述べられました。

演題は、「幕末期の社会変容と慶応二年大坂打ちこわし」です。

酒井前会長が始められた研究の、新しい展開を語っていただきました。
豊富な資料を駆使した、分かりやすく、興味深い講演でした。

講演の構成と、筆者に印象深かったことを断片的に記しておきます。
詳しく知りたい方は、いずれ先生に『大塩研究』にご執筆いただくことになっていますので、それをご覧下さい。

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講演の構成
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はじめに、

第1章 軍事拠点化に伴う大阪の社会変容
1.前史として~近世都市大坂の様相、2.長州征伐に伴う経済効果と負担、3.「浪士」の流入と対策

第2章 慶応2年(1866)大坂打ちこわし
1.打ちこわしの背景、2.発生・展開・終焉、3.他の打ちこわしとの相違点、

第3章 幕末期大阪の社会変容と打ちこわし
1.展開の特徴と幕末期大坂の社会構造、

おわりに

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筆者の感想
打ちこわしの主役、起こったきっかけ、今回打ちこわしの特徴、打ちこわし後の幕府の施策、それぞれが興味深い。
○主役-「長町」の無宿者。
江戸時代、大坂三郷の域外で、近郊農村であった難波村に隣接して、無宿者唯一の居住地として「長町」が幕府により設置され、株仲間による口入と統制が行われたとのこと。今の釜ヶ崎のようなものか?幕末には統制が弛緩し、無宿者が市中に増加し散在した。今の非正規労働者の増加に似ていないか?

○きっかけ-30万にも及ぶ長州征伐の幕府軍が大坂に来た。それに伴い、人足もどんどん増える。当然物資は不足し、米価は高騰し、困窮者は増える。おまけに浪士が暗躍する時代、社会の混乱に拍車をかける。
 筆者は、史実としての長州征伐は知っていたが、その征伐軍が滞在地にどんな影響を与えていたかまで考えが及ばなかった。なるほど。

○特徴-打ちこわしには、「打ちこわし」「押買」「合力」の三つがあると言う。
打ちこわし:破壊を伴う暴力的なもの。しかし、これも見せしめ的な性格が強い。
押買:購入者の設定した価格で買い取りを強制すること。
合力:豪商に金・銀・米などを恵んでもらうこと。
 筆者は後の二つも打ちこわしというとは知らなかった。

今回の打ちこわしは、今までの打ちこわしとは様子が異なっている。今までの打ちこわしは、地域コミュニティーによる「申合」で発生した。したがって、発生から展開までタイムラグがあった。ところが今回は予兆もなく発生すると、誰彼と無く「申触」し、わっと展開し、軍隊が出ると、たった8時間でさっと終わってしまった。
しかも、暴力的な打ちこわしはあまり無く、押買が横行した。地域的なコミュニティーとの関係が希薄で、人足層とよそ者の参加が多かった。

筆者はこれを聞いて、翌年発生した「えぇじゃないか」と実に似ていると思った。
陽と陰の違いはあるが、民衆の世直し気分横行がこういう形で現れたのではないかと思ったが、どうだろうか。

○事件後施策-幕府は事件後、3万人規模の施粥を行った。また、困窮者を収容する御救小屋を作った。これは明治期の大貧院へとつながっていく。しかし、このような施策もむなしく、もはや、世直しへの流れは押し止められなかった。

今回の講演は、筆者の知らなかったことも多く、目を開かせられた感がある。
前回の谷山先生の講演と合わせると一層理解できるとも思った。
社会の階層分化が激化するとどういうことになるか。現在の日本の状況に照らして考えさせられる。

ところで、この日、お寺の玄関先には美しい蓮の花と、何という名か、可愛い花が咲き、それこそ、講演に花を添えていました。


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次回予定は、詳細決定次第掲載します。

(文責 井上宏

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2017年5月16日 (火)

5月例会記録「大塩の乱 180年記念映画会」

平成29年5月13日(土)、午後2時から、大坂グリーン会館2F大ホールで、「大塩の乱 180年記念映画会」が開催されました。

上映作品は2本
 新東宝作品『風雲天満動乱』 第二部 嵐寛寿郎主演(1957年)
 記録映画『大塩平八郎と民衆』 島田耕監督 文部大臣賞受賞(1993年)

です。

 当日の大阪地方天気予報は雨のち曇り。予報通り朝から雨でしたが、幸い午後には上がり、約70名の参加で盛況でした。

 研究会薮田会長の挨拶の後、2本の映画が上映されましたが、合間には記録映画の島田監督から、若干の解説がありました。

 会長からは、「新東宝映画は史実とかなり異なる娯楽作品である。決起した人たちは、自分たちのみでなく、家族にも累が及ぶことを覚悟して民衆のために行動を起こした。『無私』の行動である点を見て欲しい」との話がありました。

 島田監督からは、「記録映画は史実と、それが歴史に持つ意味を追及している。そのため家族の流刑地にまで、ロケを敢行した。どの地でも、犯罪人の子としてではなく、民衆のために立ち上がった人の子、学があり、将来島のために役立つべき子として大切に扱った。このことは乱が民衆にどのように受け取られたかを示している。
 また、この映画会に当たって、事務局に、政権に刃向った大塩の乱の映画で文部大臣賞を受賞するとは何事かとクレームがあったらしい。コンクール用に作った映画ではなく、完成後勧められて応募した。審査にあたったのは政権内部の人ではなく、教育映画の専門家たちなので、評価されたのは意義のあることと思う」との話がありました。

 参加者からは、「嵐寛の映画は懐かしかったし、それなりに面白かった。記録映画は、教科書にはない知識を得ることができた」との感想を聞きました。また、「今の官僚・政治家に無私の人は皆無だろうね」との声も聞きました。

乱180年のイベントとして、成功だったようです。

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会場の大阪グリーン会館          雨も上がり、参加者がぞくぞく

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ほぼ満席の会場               まず会長の挨拶

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1957年、新東宝作品、            懐かしい嵐寛寿郎

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記録映画上映に先立ち島田監督の解説  会員には懐かしい、酒井一前会長

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乱の戦闘場面                屋久島に流された橋本松次郎の子孫

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大塩父子が潜伏した政埜邸隠れ部屋  上映後、檄文の解説

以上で映画会は無事終了しました。

次回行事は7月例会(7月22日13時30分~、於 成正寺、講演:天理大学 澤井廣次先生)です。乞う、ご期待。
(文責 井上宏)

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2017年3月31日 (金)

3月例会記録 181回忌大塩父子及び関係殉難者怨親平等慰霊法要及び記念講演会

3月26日(日)午後1時30分から、成正寺で、181回忌大塩父子及び関係殉難者怨親平等慰霊法要が行われ、記念行事として、天理大学教授 谷山正道先生による講演が行われました。また、講演後、研究会の総会が開催されました。

◆法要

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181回忌ですが、事件後180周年の記念すべき法要です。往事を偲びながらの厳かな法要でした。記録映画の撮影や新聞社・雑誌社の取材も入っていました。

◆講演:谷山正道教授「日本の近世社会と民衆運動ー大塩平八郎の乱を視野に入れながらー
 豊富な資料を駆使しながらのご講演は分かりやすく、興味深いものでした。
講演内容については、谷山先生が『大塩研究』にご執筆いただくことになっていますので、それをご覧ください。ここでは、ご講演の意図を述べておられる、レジュメの「はじめに」を転載し、また、本稿筆者の感想を2・3述べるにとどめます。
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◆レジュメ「はじめに」(講演の意図)
○日本近世の大部分を占める江戸時代は、「徳川の平和」と呼ばれるように、対外戦争や内戦がほとんどなかった、世界史上でも稀な時代であり、兵農分離制(身分制)・石高制(村請制)・鎖国制を国家の基本的枠組みとしていた。そうした体制のもとで生きた民衆は、生産や生活を守るために、地域に根ざしてどのような運動を展開したのか、それはどのような特質を有し、近世後期にはどのような変化を示すようになったのか。

○本講演では、合法的訴願と百姓一揆の双方に光をあて、日本近世における民衆運動の特質と展開のあり方について論じる(大坂周辺地域を主なフィールドとし、天保期に起きた大塩平八郎の乱も視野に入れながら、述べることにしたい)。

◆講演を聞いて印象深かったこと(本稿筆者)
1.<訴の時代>としての日本近世、2.近世における合法的訴願の展開:
○一般的に百姓一揆が注目されるが、現在知られているそれは3000余件に過ぎない。ほとんどが合法的訴願であるとのこと。
 要求を述べる際、自分たちのことを「御百姓」と述べている。これは「我々百姓が貴方たち武士を土台で支えているのだぞ」ということを表現している。訴願は数量的・合理的で、道理に貫かれている。また、文章表現力と論理構成力に優れている。
 お上の言葉を逆に利用する図太さを備えている。例えば、「胡麻の油と百姓は絞れば絞るほど出るものなり」の言葉で有名な勘定奉行 神尾春央の「有毛五分五分の条」(五公五民)を盾にとって、それ以上の年貢増徴を防ぐなどしている。

○国訴など、問題レベルに応じた広域化を図っている。そのため、村役人層による地域集会を開催し、議定書を制定するなどしている。また、頼み証文(委任状)などは、代議制の前駆的形態とも取れる。

○百姓側からお上に、法文や政策内容を提示して「国触」(くにぶれ)を要求するなど、地域運営主体・政策主体としての成長が見られる。

○明治になって自由民権運動が盛んになるが、近世における民衆運動の、このような成長が基盤となっている。

3.百姓一揆と幕藩領主、おわりに:
○百姓一揆も中期までは「作法」があり、規律ある行動をとり、盗みや放火は自制していた。一揆勢が得物として携えたのは農具であり、武器は封印していた。領主側も鎮圧に際して、飛び道具は不使用としていた。
 非合法な訴えの首謀者は厳罰に処することが公事方御定書に記されているが、これも但し書きがあり、事情によっては柔軟に対応していた。百姓を「国の宝」として扱った。

○ところが、明和頃から次第に硬直的な処分となった。民の方も文政頃から一揆に竹槍を使用するなど暴力化するようになり、鎮圧側も武力行使をするようになった。階層分化が進行し、民衆の窮迫度が増し、領主に対する恩頼感が低下し、直接行動によって「世直し」を実現しようとする動きが出だした。

○天保期、凶作による米穀の欠乏と高騰による民衆の窮乏が激しくなったのは、再生産構造の変化が影響している。脱農化が進展し、「買喰層」が多くなることで、米価高騰が一層打撃となった。このような状態に、大坂では跡部山城守の悪政が拍車をかけ、大塩平八郎の乱につながった。島原の乱後200年、弓鉄砲を用いた大塩の挙兵は明治維新の先駆けとなった。

○上記のように、一般的な認識と異なり、訴願に対する幕府政治の対応は柔軟で、民の側も訴願を通じて自治力の向上があった。しかし、中期以降、階層分化の進行、底辺民衆の窮乏化が増すことにより、訴願も暴力化することが多くなり、大塩の乱につながった。階層分化の激化が如何に危険かに、現代の為政者も心すべきだろう。

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以上が先生の講義に対する筆者の断片的な感想ですが、受講者さまざまの受け取り方があると思われます。講義の全貌については『大塩研究 第78号』(平成30年3月刊行予定)で先生の玉稿をご覧いただくよう、お願いします。

(文責 井上宏

追記:
「下書き」で書いたものが完成間近になって保存を押すと、何故かfatal error の表示が出て、内容が一瞬で消えてしまいました。一所懸命書いたのに、どこにも保存されていません。
老い先短い貴重な一日を棒に振りました。泣く泣く一から書き直しました。元の文章はもっとまとまっていたと思うのですが、思い出せません。
パソコンは便利ですが、何年やっても恐ろしいものです。

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2017年1月27日 (金)

酒井一先生七回忌法要ならびに論文集『日本の近世社会と大塩事件』献呈式

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35年の永きに亘って大塩事件研究会会長をつとめられた酒井一先生の遺稿集『日本の近世社会と大塩事件』が1月22日付けで和泉書院から発刊されました。そこで同日、先生の七回忌法要と同書の献呈式が菩提寺成正寺で行われました。

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P1090900b_2集まった方たちは、先生令夫人ならびにご親族、遺品整理を担当された教え子・ご友人・論文集解題執筆者・出版社・大塩事件研究会役員の皆さんです。
式後の会食で参加者全員が先生の思い出を語りました。

 

遺稿集『日本の近世社会と大塩事件』について
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大塩事件研究会では、先生の多数の論文が、ご急逝により、発表当時のまま放置されている状況を憂い、ご業績が次世代にも継承されることを願って、遺稿集を発行することを企画しました。
 本書では、主要な論文21篇を、Ⅰ近世の領主支配と村々、Ⅱ大塩事件、Ⅲ幕末の社会と民衆、Ⅳ地域史と民衆文化 に分類して収録しました。
 冒頭には、先生みずからが半世紀の研究の軌跡を語られたインタビュー記事を掲げ、末尾には年譜と著作目録を付しています。
 Ⅰには本城正徳、Ⅱには松永友和、Ⅲには谷山正道、Ⅳには藪田貫の各氏による解題が付され、先生の業績の近世史研究における位置づけが試みられています。
本書の内容・目次等の詳細は和泉書院のホームページに掲載されていますので、以下のアドレスをクリックしてご覧ください。
http://www.izumipb.co.jp/izumi/modules/bmc/detail.php?book_id=129293&prev=search

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